自己紹介

自己紹介

2020/09/28

初めまして、二色人です。

web制作会社に5年近く勤務し、ワーキングホリデーのために会社を辞めたところにコロナウイルスに直面して現在は日本でフリーランス兼ニートをしています。

まず最初に、このブログは読者さんにとって有益な情報を得られるようなものはほとんどありません。
お金を稼ぐ目的でもありません。(アドセンス広告は彩り欲しくて入れました)

じゃあ、何かというと
僕が欲しかった”モノ”があり、それを作るためにこのブログを作りました。

その欲しかった”モノ”を語るにあたってまずは自己紹介をしたいと思います。

自殺未遂した学生時代

僕は小中高と地元の学校に進学して、空いている時間はゲームばかりしている学生でした。
将来のことはなにも考えずに生きてきて、高校三年生の時の大学受験が僕にとっては人生における転機だったと思います。

僕の通っていた高校は偏差値が50後半くらいで、中学三年生の時に電車通学が死ぬほど嫌で死ぬ気で勉強してなんとか入った経験があったため大学受験に関しても多少自信がありました。

ですが、高校3年生になり、いざ勉強を開始しても全く成績が伸びず
「時間が足りないんじゃないか?」
と卒業できる授業日数を計算して、午前中は家に残って勉強をして、授業が終わるタイミングで登校したりしていました。
午後に自転車で登校して、学食に向かうクラスメイトが遠目で僕を見て「あいつやべぇ」と口にしたことは忘れません。どういう意味で言ったのかはわかりません。

それでも成績が全く伸びなかったため今度は塾に通って上のクラスに志願して入れてもらったのですが、授業に全くついていけず成績も全く伸びず自分で自分をどんどん追い込む形となってしまいました。

そんな生活を続け、夏休みが明け2学期に入り学校の中間テストがありました。
1学期の時点で学校の勉強はほとんどしておらず受験勉強ばかりしており、2学期に関しては授業を完全に無視して受験勉強ばかりしていたため一桁代の点数をたたき出しました。
当然最下位でした。

模試の結果が全然伸びず、学校もみんなと違う生活に赤点とどんどん追い込まれていきました。
それでも時は流れ、2学期の期末テストの日になりとうとう限界を迎えてしまい、学校に行かずに書置きを残して家出をしました。

特に目的地もなかったのですが学校と家から離れたい一心で自転車を漕ぎました、途中で利根川にぶつかり利根川沿いにサイクリングロードというものがあったのでその道に沿ってとりあえず遠くに行くことを決めました。

それから、僕は色々と考えました。

「なんで成績が伸びなかったんだろう?」「そもそもなんで大学に行こうとしたんだろう?」「大学に行ってその先に何があるのだろう?」「別に大学に行って学びたいこともないしなぁ」「そもそも僕って何がしたいんだ?」「好きなこともやりたいこともないなぁ」「好きなことってなんだ?ゲーム?」「なんのために生きてるんだろ?」

「あれ?僕って生きている意味なくないか?」

僕は自殺を決意しました。

もし当時、電車通学していたら電車に身を投げていたと今は思います。
ですが、家出をしたことで多少は冷静に判断する能力が残っており、

「でも、死んだ後どうなるんだろう?」

死んだ後の世界ではなく、死んだ後に残される周りの人間の反応について考えることができました。

僕の葬式が行われクラスメイトや友人が出席してくれるだろう、家族は悲しむだろう。
でも、葬式が終わっても世界は回り続けてクラスメイトや友人も次第に僕の事を忘れるだろう。
残された家族だけが一生悲しみの中生活していくことを考えると

「死ぬ意味ないな…」

という考えに行きつきました。
でも、生きる理由もありませんでした。
好きなこともやりたいことも18年生きてきて一つもなかったのです。
本当に一つもありませんでした。
しかし、

「欲しいものはあるなぁ…」

と思いつきました。

好きなこともやりたいこともないけど”欲しいもの”はある。
じゃあ、死ぬことを考えた死んだ身なんだしそれを作るために生きるか。

というのが僕が欲しい”モノ”を作る理由です。
そこから月日が経っているので、欲しかった”モノ”という表現になります。

欲しかった”モノ”(このブログの目的)

長々としんみりした感じの文章が続きましたので、少し前向きなお話をします。

僕が欲しかった”モノ”の一つがこのブログと密接に紐づいているので、このブログの目的と一緒に説明します。

まず、僕は学生時代に尊敬できた、道しるべになるような大人は一人もいませんでした。
そもそも大人と接することがほとんどなかったのでしょうがないことだとは思いますが、それでも学校の先生はつまらない授業はするし、親は面倒事を押し付けるし、塾の先生は成績に伸び悩んでいる自分に対して「努力が足りない」などと言い放つだけで基本的に大人は何もしてくれないものだと思っていました。

そういう経験があったため漠然と身近に”凄い大人”がいたらなぁと思い、”凄い大人”を作るというミッションがこのブログにはあります。

社会に出てからわかったのですが、世の中には”凄い大人”は何千何万といます。
身近にも当然います。僕のいた会社にもいました。
ですが、恐らく僕はひねくれた性格なため彼らを尊敬することはできなかったと思います。

なぜなら、共通して言えることで”凄い大人”になった後の情報しかないからです。
“凄い大人”になる前の情報、その過程、道しるべの情報がまるでないのです。

“凄い大人”になった後にその人が本やテレビで語ることは多々ありますが、”凄い大人”になる前のその人の考え方や思想、どういう経緯でそこにたどり着いたか等の当時のリアルな情報はありません。
日記でも書いててそれを公開してくれればあるのかもしれません。

“凄い大人”が「俺は昔はすごかったんだよ」と話しても自慢話にしかならないし、都合のいいように改善された情報を18までの僕は真面目に聞くことは無いと思います。

でも、”凄い大人”が”凄い大人”になる前に書いた当時の考え方やその考え方の変遷等の情報をみたら、もしかしたらその人を尊敬できるのかなぁ?と思いこのブログを立ち上げました。
要するにこのブログは「有名になるまでの過程を描いたブログ」という認識でいいと思います。

僕自身は有名になるつもりはサラサラありませんしなりたいとも思いませんが、いくらお金を積んだとしても”凄い大人”になる前の人が”凄い大人”になるまでの過程を残してくれるとは思えないし、途中であきらめる可能性もあるのでじゃあ僕がやるかという経緯で作ったのがこのブログです。

最後に、このブログには日記・仕事の備忘録・漫画・英語の勉強と全く関連性のないコンテンツが並んでいますが、これらは僕が欲しかった”モノ”を作る上で必要なもので、もし僕が”凄い大人”になれたらこのブログがそのまま僕が欲しかった”モノ”の一つになるので死ぬまで続けると思います。
一度死んでるし欲しかった”モノ”を作ることが生きがいなので…

長文でしたが最後まで読んでいただきありがとうございました。

このブログをやっていて一ミリも楽しいと感じたことはなくストレスですが、本当に死んでいたらこういう感情も抱くことできないし生きがいも見つかったので今となっては自殺を考えるまで追い込んで良かったと思います。
死ぬことを考えた人や人生に追い込まれている人にこういう生き方もあるんだよと生きる方向の一つとして参考になればと思います。