ジャーナル

僕の考える「楽しい」とは

「楽しい」とは

「楽しい」は人間が感じる感情の1つで、「気持よく明るい気分。のびのびと満ち足りた気持ち。」というプラスの状態を表す。

しかし、似たような意味で「面白い」という表現がある。それらはしばしば似たような意味として使われ混同しがちなので、まずは「楽しい」と「面白い」の違いについて考える必要がある。

「楽しい」と「面白い」の違い

「楽しい」と「面白い」の違いは、それらの言葉が使用される対象が違う。というのも、「楽しい」は自分自身の状態を指し、「面白い」は自分以外の人やモノの状態を指すような使われ方をする。

例えば、「楽しい人」や「楽しい漫画」という表現はあまり聞かれないが、「面白い人」や「面白い漫画」という表現はしばしば耳にする。このように、「楽しい」は自分自身の状態を指し、「面白い」は自分以外の状態を指すように使われる違いがある。

「楽しい」と「面白い」は因果関係

「楽しい」は自分自身の状態を指し、「面白い」は自分以外の人やモノを指すのであれば、そこには因果関係があるように思う。なぜなら、何も無い空間で「楽しい」と感じるようなことは無く、「面白い」があっての「楽しい」だからだ。

例えば、ディズニーランドには「面白い」と感じるキャスト(人)やアトラクション(モノ)があって「楽しい」と感じる。それらが無い公園に一人で行き「面白い」と感じることはないし、「楽しい」という感情が湧くこともない。だから、「面白い」があっての「楽しい」という因果関係性がそこにはあり、「面白い」無しに「楽しい」と感じることは無いのだと思う。

「楽しい」人生を送ることの難しさ

「面白い」があっての「楽しい」があるのだとすると、「楽しい」人生を送ろうとすると常に「面白い」人やモノに触れ続ける必要があるように思う。しかし、人間は飽きを感じる生き物で、人は飽きると「面白い」と感じなくなってしまう。それは、一発屋という芸人などを見るに明らかだ。

なので、もし「楽しい」人生を送ろうとするのであれば、「面白い」人やモノに常に触れ続ける必要があり、際限無くお金を出し続けるなど、一部の大富豪のような人にしかできないのかもしれない。

「楽しい」人生を送る方法

もし、お金をかけずに「楽しい」人生を送ろうとするのであれば、労力をかける必要がある。なぜなら、人が「面白い」にアクセスする手段は2つあり、1つはお金を出し「面白い」を買う。もう1つは労力をかけて「面白い」を掘る。これは、「ダイヤモンドを買う面白さと、ダイヤモンドを掘る面白さ」と例えられる。

買う面白さに関しては説明が不要だろう。ダイヤモンド然り、ディズニーランドや漫画など、「面白い」モノに対して人はお金を払っている。

では、掘る面白さとは具体的に何か?それは、何か目的を持ちその目的を達成した時に感じる達成感を指す。例えば、「練習をして試合に勝つ」、「勉強をして良い点や大学に合格する」、「仕事を頑張りプロジェクトを成功させる」などが挙げられる。それら目的(ダイヤモンド)のために労力をかけて掘り当てた時、上手くいったと達成感を感じて「面白い」と感じる。これが、ダイヤモンドを掘る面白さである。

「買う/掘る」の面白さの違いは、お金をかけるか、労力をかけるかの違いで手に入るモノは同じダイヤモンドだ。なぜ、それが「面白い」かについては「面白い」を構成する3つの要素が揃っているからだ。それに関しては、以下のリンクにて解説している。

という具合に、「楽しい」人生を送ろうとするのであれば、お金で「面白い」を買い続けるか、労力をかけて「面白い」を掘り続けるなど、どちらかの選択を取ることで「楽しい」人生を送ることができるように思う。

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