絵日記の違和感
絵日記描いてて挿絵がしっくりこない時があるので言語化
なんでしっくりこないのか?
絵日記の挿絵を「絵」として評価してしまうことでしっくりこないんだと思う
まぁ、単純に絵が下手だもんなぁ
でも、そんな下手な絵でもしっくり来るときはあるんだよね
それは「絵」としての評価じゃなくて、日記の「挿絵」として評価しているからなんだと思う
評価軸の変化
挿絵として評価ができない時に評価軸が絵に移るのかもしれない
それは、納得したい、腑に落としたい欲求から来ていると考えると腑に落ちる
挿絵としての評価方法
じゃあ、どうすれば挿絵として評価できるのか?
僕が挿絵として評価する時は挿絵として機能をしている時のように思う
文章に合った挿絵を描けた時、文章の流れを汲んだ挿絵を描けた時、その絵が下手であろうとしっくり来る感覚がある
だから、評価される挿絵を作るには文章を汲んだ挿絵でないといけないんだと思う
評価できない挿絵を作らないためには?
逆に、どうすればしっくり来ない挿絵を描かなくて済むのか?
しっくり来ない挿絵を描く時、文章側に問題があるように思う
というのも、文章全体が抽象的な時に挿絵で悩むことが多く、しっくり来ない挿絵が生まれてる感覚がある
その反対に、抽象的な内容を何か具体例的に例える時、しっくり来る挿絵が作りやすいような感覚がある
ということは、抽象的な文章を具体的にすることで、しっくりこない挿絵を描かなくて済むのかもしれない
抽象的に捉える弊害
それに、文章以外にも抽象的な状態にしていると上手く行かないイメージがある
仕事であれば、納期前に聞いてない仕様が出てきてドタバタするし、英語の勉強でも覚えたと思った単語が思い出せないことがよくある
最近、漫画でも感じた
頭の中では面白いと感じていたのに、いざ頭から出してみると途端に面白さが消え上手くいかない
そして、抽象的に捉えるのは楽なのかもしれないが、それを具体的にした時、そこにあるギャップが大きければ大きいほどストレスを感じる気がする
だから、抽象的に捉えるんじゃなくて、具体的にする行動を取り、ギャップ、溝を埋めておいた方が良いんだと思う
…と、書いてみたがこれも若干抽象的だわ
頭の中では理解しているつもりなんだけど、これを相手に伝えようと思ってもたぶん伝えられない、それは抽象的に捉えているってことなんだと思う
これは挿絵悩む奴だわー
表現の重要性
抽象的な文章も問題だけど、挿絵の表現、絵としての表現方法も問題があるのかなぁって思った
というのも、僕が描く挿絵って普段パソコンの前で作業しているのもあってパソコンの前にいる構図が多いいんだよね
そして、しっくり来る挿絵ってパソコンの前以外の構図が多くて、そういう表現も重要なんじゃないかなぁって思った
でも、挿絵は文章を視覚化するものだから、抽象的な文章をどれだけ「具体的」にできるかが重要で、そこができてないとしっくり来る挿絵は描けない気がする
根っこの方の問題だよなぁ…
終わり
僕もそろそろ相手に伝えることを前提にやってみた方が良いのかも
ここ最近、仕事の案件が落ち着いて時間ができてるはずなのに、日記や漫画の作業のやる気が起きなくて困っている
それが今回の「抽象的」が引き金になってる気がするんだよね
抽象的でしっくりこない、解決方法は具体的すること、だけどそれに気づけずモヤモヤ、やる気が起きないって感じ?
そして、半分鬱になってんじゃねぇかなぁ…(鬱病になったことがないけど)
というのも今週、鬱病について考える機会がちょくちょくあったんだよね、それが僕も鬱病になってたから気になってたと考えると納得なんだわ
なんとなく違和感を感じていたわけだけど、こうやって言語化してみると「確かに!」ってなる
ちょくちょく出てくる「なんとなく」という簡易センサはやっぱり優秀だと思うな
後はそれを意識して使えたら完璧
努力と才能と同じくらいでかいテーマな気がする(なんとなくそう感じる)