時間が過ぎるのを待っている僕がいた
週1の休みの土曜日、時間が過ぎるのを待っている僕がいたので、それについて書き出し
時間が過ぎるのを待っている僕がいた
家でダラダラゲームをしてた時、時間が過ぎるのを待っている僕がいたんだよね
それは、ゲームをして時間を意図的に潰そうとしているって感じ
言い換えると、なんか嫌なことが通り過ぎるのを待っている感じがした
それは何なんだろうか?
嫌なことが通り過ぎるのを待っている僕
その嫌なことってのが、最初日記だと思ったんだよね
というのも、その週は日記がまとまらなくて、若干投げやり気味で休日に入ったから
そして、そのゲームをするというのは僕にとってストレス発散で、現実逃避だった
だから、そのスランプ状態が通り過ぎるのを待っている?って最初は思ってた
現実逃避ではない
ただ、現実逃避を僕が行うって可笑しな話なんだよね
なぜなら、僕は現実逃避をする理由がないと理解しているから
それは、現実逃避をしてもストレス発生源は存在し続けるから逃げることが無意味
もし、日記がスランプでストレスを感じているのであれば、僕はたぶん向き合う選択を取るはずなんだよ
だから、現実逃避ではない
家での時間が過ぎるのを待っている
じゃあ、何か?
それは、作業ができない時間が過ぎるのを待っているんだと思う
なぜなら僕は、家で作業をせず、作業はコワーキングスペースなどの外ですると決めている
それは、家だと集中できず効率が悪いから
だから、その問題解決できる次の日、コワーキングスペースに行く日が来るのを待っている
と、考えると腑に落ちる
だよなぁって感じ
ということで、次の日コワーキングスペースに行って問題解決した
時間が過ぎるのを待っている視点
しかし、時間が過ぎるのを待っているという視点は面白かった
なぜなら、時間と向き合ったり追ったりすることはあるけど、時間が過ぎるのを待つという行為を意識したことが無かったんだよね
で、今回それを認識したんだけどさ
寝るのがどんどん夜遅くになるのも、眠くなるのを待っていると言えるのかもしれない
そう考えると、寝る前にスマホを弄ったり、youtubeを見たりするのは眠気を待っていると言えるのかもしれない
会社員時代はこっちから迎えに行っていたんだから、早く寝たかったら迎えに行くべきなんだろうね
終わりに
この日記も、日記のスランプを抜け出した時の方法、全体の構造を先に作ってから書いたけど、なんか淡泊だわ
なんか事実を淡々と書いてる感じ?感情が無い感じ?
日記自体は、まとめやすいんだけど、1つ1つのパラグラフが浅い感じがしてちょっと嫌だわ
前回の日記で書いたように、パラグラフごとに書き込んで、あとで全体の構造を作ってそこに当てはめる感じがいいのかもしれない
来週分まで、今用意しちゃってるから来年から意識して書くかな
しかし、クリスマスに書く内容じゃないかもしれない(笑)