イメージの変換
考えごとをしている時って日本語使って考え事をしていると思っていたけど、実は日本語使ってないんじゃね?って思ったので書き出し
考え事をする時に日本語使っていない説
頭の中で考えごとをする時に、日本語を使って考えごとをしているって考えてた
けど、それにしては他人に伝えようとする時に言葉に詰まるんだよね
だから、実は日本語を使っていないんじゃないか?って考えた
考え事をする時には何を使っている?
考えごとをする時に日本語を使っていないとすると、代わりに「イメージ」を使って考えごとをしているんだと思う
というのも、頭の中で考えごとをする時に、日本語ではない「映像」とか「世間一般の常識」を使っている気がするから
例えば、「青りんご」を英語で何というか?という質問があった時
まず「緑色のりんご」を頭に思い浮かべて「green apple」って答えると思う
それと同時に、直訳すると「blue apple」
でも、「blue apple」なんて聞いたことが無いし、「青色のりんご」なんて見たことがない
だから、「blue apple」は有り得ない「green apple」が正解だ
…という考え事を同時にしている気がするんだよね
「green apple」という答えを出すまでに、「映像」と「世間一般の常識」というイメージを使って考えていて、日本語は使ってない
だから、考えごとをする時には「イメージ」を使って、日本語は使っていないんじゃないか?って思う
日本語を使っていると錯覚した理由
じゃあ、なんで日本語を使っていると錯覚したんだろう?
それは、頭の中にストックしている日本語が原因な気がする
というのも、日本語は共通言語で、同じイメージを他人に伝えるための手段
日本語の単語からイメージを連想させて、共通のイメージを脳内にイメージさせることが目的
本来、日本語という共通言語は、頭の中に共通のイメージを連想させたら役目は終了だけど、日本に住んでいて、日常的に日本語を使うから、よく使う日本語を頭の中にストックしている気がするんだわ
で、この頭の中の日本語ストックを引き出す行為のせいで、頭の中で日本語を使っていると錯覚していると考えると腑に落ちるかな
あとは、「音声イメージ」で日本語使うのも錯覚させる一因になっている気がする
その「音声イメージ」もストックしている日本語なんだと思う
歌とかメロディーは覚えているけど正確な歌詞はわからないし
頭の中の日本語ストック
ストックに関しては言及すると、ストックという概念はあると思う
というのも、海外に行って帰ってくると日本語が下手になったりするんだよね
それは、海外で日本語を使うことはないから「ストックしていてもしょうがない」ということで一度頭の中の日本語のストックを破棄したから起きているんだと思う
あと、身近なストックの例として仕事がある
仕事って平日は頭からすぐに引き出せるようにストックし続けて、休日になったらそれを破棄して、週明けに思い出す(再ストックする)、というルーティンをしていると思うんだよね
それは、平日の間は仕事を頭の中にストックしておいた方が効率が良いからで、日本語も毎日使うから日常的に使う日本語は頭の中にストックしているんだと思う
だから、頭の中に日本語はストックしているし、ストックという概念はあるんじゃないかって思う
つか、このストックのせいで、脳のストレージが圧迫されているという考え方もできる気がする
スマホやパソコンのストレージと同じで「日本語」や「仕事」というデータのせいで、本来の性能を発揮できないみたいなことが起きているんじゃないかな?
アンインストールかキャッシュクリアボタンが欲しいね
言葉に詰まる理由
で、僕が「言葉に詰まる」のは頭の中の日本語のストックが少ないからなんだと思う
他人に説明をする時に、頭の中にストックしている日本語だけだと足りなくなり、頭の中の「イメージ」を日本語に変換する処理を行う
その処理が完結するまでのタイムラグが「言葉に詰まる」という形で出てきている
そう考えると、腑に落ちる
まぁ、言い方変えると頭が悪いって話なんだと思う
頭が良ければ、イメージを日本語に変換する処理も早く終わるから「言葉に詰まる」という事も起きない
スペックの低いパソコンだと処理に時間がかかるように、スペックの低い頭で処理に時間がかかっている部分も影響しているって話
言葉に詰まる対策
とは言え、「言葉に詰まる」のはなんとかしたいかな
どうすれば解決するかを考えると、反復練習をすれば治るんじゃないかな?
頭の中で「イメージ」を日本語に変換する処理に時間がかかっているから起きているわけで、その変換する練習を繰り返して少しずつ処理を早くすれば解決するんだと思う
付け加えると、「対人」で、かつ「短い時間」での練習を繰り返せばいけるんだと思う
普段日記で日々の気づきという抽象的なことを言語化しているけど、最初はまじで言語化できなくてしんどかったんだよね
けど、何年もやり続けて時間かければ大体のことを言語化できるようになった
だから、同じように反復練習をし続ければ言葉に詰まらずに人に説明できるようになるんだと思う
まぁ、何事も慣れよな
全ての行動はイメージの変換作業
イメージを日本語に変換で思ったんだけどさ
人間の行動は全て頭を介していて行われていて、頭の中では「イメージ」を使って考え事をしている
つまり、人間の全ての行動は「イメージ」の変換作業と言えるんじゃないかな?
「青りんご→green apple」みたいな日本語を英語に翻訳する時はもちろんそうだけど、運動とかもイメージがあって、そのイメージを変換して行動をしている
そして、反復練習をすることでより上手くイメージを変換できるようになる
そう考えると、反復練習は頭の中「イメージの解像度を上げる行為」なのかもしれない
「言葉に詰まる」のもイメージの解像度が低すぎて、該当する日本語が見つからないってことで起きている面もあるんだろうね
まとめ
まとめると、頭の中で日本語を使っていると考えいてたがそれは錯覚
頭の中では、「イメージ」を使って考え事をしていて、日本語を使っていると錯覚するのは、よく使う日本語を頭の中にストックして引き出したりしているため起きている
そして、人間の行動は全ての頭を介して行われる
頭の中では「イメージ」を使っているから、全ての行動は「イメージ」の変換作業
変換処理を上達させ用と思うと、反復練習を行い頭の中の「イメージ」の解像度を上げる必要がある
終わりに
今回の日記はマジでまとまらなかったんで凄い苦戦したわ
日々の気づきについて書き始めた最初の1年目を思い出したね
丸一週間かけても全然文章がまとまらなくて、すげぇ苦しんだ
で、頭の中で「イメージ」を使っていると考えると、色々と見方が変わってくる気がした
というのも、人間の行動は全て頭を介して行われるわけで、「イメージ」の変換作業が発生する
じゃあ、その変換能力を上げれば、全ての能力を上げられるんじゃね?全ての物事が上手く行くんじゃね?って話
クリエイターになりたいんだったら、「イメージ」の変換能力を鍛えればいいし
スポーツ選手になりたいんだったら、「イメージ」の変換能力を鍛えればいい
って感じで、1つの能力を鍛えれば全てに応用が効くんじゃないか?思った
あと、僕は漠然と「努力って使い回しが効く」って考えていてさ、「イメージ」の変換って上に書いた通り使い回しが効くじゃん?
努力って「イメージ」の変換作業、って考えるとしっくりくるんだよね
それに、努力って「自分自身を目的地に自走させる能力」って考えていて、目的地って理想という名の「イメージ」なんだよ
だから、「努力=イメージの変換能力」ってあながち間違いでもないのかもしれない
点と点が繋がったみたいで面白いわ