できるのにやる気が低下するメカニズム
できないことができるようになると、楽しくなってやる気が起きるんだけど、できるようになったにも関わらずやる気が起きなくなるという現象にあったので書き出し
漫画の作業でやる気が起きなかった
漫画の作業でやる気が起きないという現象が起きた。僕は漫画を書くのが嫌いなんだけど、ここ最近は少しづつ慣れて、漫画に対する苦手意識が減ってた。そして、少しだけど楽しいと感じるようになっていた。そういう状況なのに唐突にやる気が起きなくなった。せっかく楽しくなってきたのになんでやる気が無くなったんだろうか?
原因
やる気が低下した理由は、遠くを見ていることが影響しているんだと思う。人は目の前のモノが難しかったりわかりづらいと遠くを見て目の前にあるモノから目を逸らす。それは向き合っているとストレスを感じるからなんだけど、やる気が起きなくなったのも1つの話を描き終えて、新しい話を作る時に感じた。つまり、目の前にある次の話を1から描く事は想像以上に難しく、その遠くにあるゴールを見たら道のりが際しく感じたため、やる気が失われたんだと思う。
また、1つの話を描き終えたことで色々と反省点などがあったのと、それによる理想が高くなっていることも影響しているんだと思う。なぜなら少しづつだけど僕の描く漫画は上手くなってきていて「もっと上手く描こう」などと考え理想が高くなり、より遠くを見てしまっている。そういう理想が高くなっている面もやる気を失わせる原因になっているんだと思う。
逆に、なんで楽しくなってきたか?これは、あと少しで1つの話が描ききれそう、ゴールまであと少しと感じてたからなんだと思う。けど現実はゴールしたら次のゴールが現れた。しかも今度は理想が高くなって倍の距離の先にゴールがありますってなったら、そりゃやる気が起きなくなるのも当然だよねって話なんだと思う。
ゴールは存在しない、自身で決める
書いてて思ったが、ゴールは無限に設定できてゴールというのは存在しない気がした。なぜなら、ゴールをどこにするか?というのを決めるのは自分で、自分自身が満足しなければ新しいゴールを作って際限なくゴールを目指し続けられるから。
もし「完璧だ、これ以上のモノはない」と言い切れるモノができたとしても、それを証明するためには「本当にこれ以上ないのか?」と試してみる必要がある。そして、できないと思ってやるよりできると思ってやった方が確率が上がるわけだから「できる」と考えて試してみる必要があって、「できる」と考えてやり続けていたらなんやかんやでできてしまうから「これ以上のモノはない」というのは証明ができない。
だとすると「これ以上のモノはない」という言葉は「これ以上新しいゴールを目指すのはしんどい、もう辞めたい」という「面倒くさい」や「飽きた」をかっこよく言い換えているだけで、際限なく続くゴールを目指し続けるのは僕がやる気を失ったように難しい事なんだと思う。
まとめ
まとめると、遠くを目指してそこにあるゴールに到達すると、更に遠くに新しいゴールが現れる。その遠くのゴールを見て道のり長さや険しさからやる気が失われる。僕が漫画に対して抵抗が減ったのにやる気を失ったのも、ゴールしたはずなのにより遠くのゴールが現れたからで、僕が諦めて辞めるまで次から次へとゴールは遠くに現れ続けるんだと思う。
終わりに
そういえば、昔から作品のファンになることはあっても、作品を作る作者のファンになったことってないんだよね。今回の日記でゴールを際限なく目指し続ける人がいないって所が関わっているのかなぁって思った。というのも、ゴールを目指し続けたらどんどん上手くなったり良いものが出来たりするんだけど、現実は1つヒットする作品を作って鳴かず飛ばずの作者が大多数でさ、適当に作っている感覚を受けるんだよね。
もちろん、1つでもヒットする作品を作るのは凄い事だし、ヒットさせるためには作り続ける必要があって、その継続性は尊敬に値するモノではあるんだけどさ、やっていることが宝くじ1等当てた人と同じで買い続けてたまたま当たったと同じに感じてしまうんだわ。そこには再現性が無くて、その再現性はゴールを目指し続けることで得られるモノ。そして、それは目に見える形で現れると僕は考えているんだと思う。僕が作品のファンになっても作者のファンにはならないのは僕の目に見える範囲に再現性を持った作者がいないからなのかもしれない。
ただ、その再現性も目に見える形で現れない可能性もあるんだよね。例えば、売れるモノを作る事が目的じゃなくて、自己表現が目的で作品を作っているアーティスト。その人が自己表現のために作った作品がたまたまヒットして売れて、その後鳴かず飛ばずだとしても、その人は満足のいくモノを作り続けることができている可能性があるんだわ。だとすると、それは再現性があると言えて、第三者からは確認できないだけで、際限なくゴールを目指し続けている人もいるんだと思う。
とは言え、目に見える形で現れてしまう気はするんだよね。特にSNS全盛の時代で際限なくゴールを目指し続けたらどんどん洗練されていくし、他人に共有したくなるような目新しいモノになってしまうしと思うし…
でも、刀鍛冶みたいに切れ味や耐久性というような現代だと比較が難しい部分もあったりするわけで、僕の見える範囲にいないだけで、僕がファンになるくらい再現性のある作者もいるのかなぁとは思う。難しいな…
最後に、今回から書き方を変えてみたんだけど、こっちの方が文章的なまとまり感があって読みやすい気がした。前までの書き方だと、都度改行が入って目線がぶれるのと、1つの日記が縦に長くなって読む気が失せる感じがあったかもしれない。なので、しばらくはこの書き方を続けて見ようかなって思う。