ゲームがつまらないと感じる自分に驚いた
僕は週休1日で、その休みの日は横になっていることが多いい。そのためスマホを手にしゲームをするのだが、ゲームを起動してはすぐに閉じてゲームし続けられない僕がいて驚いたので書き出してみる。
ゲームをし続けられない理由
ゲームをし続けられない理由としては、いつも同じゲームをしていることが考えられる。というのも、僕は「アークナイツ」と買い切りの「信長の野望・創造 戦国立志伝」をやっているのだが、インストールしてから2~3年経っており流石に飽きた。
とはいえ、新しいゲームをインストールする気にもならない。その理由は、親世代がゲームをしない理由と近い気がしており、年を取ったことが原因なのではないかと思った。
年を取るとゲームができなくなる理由
なぜ、年を取るとゲームをし続けることができないのか?単純に時間が無くなるという面もあるが、一番の理由は年を取ることで得られるモノより失うモノが目に付くようになることが影響しているのではないかと思う。
というのも、20代後半から失うモノが目に付きだした。例えば、若さや体力。日々老化する自分や体力の低下。そういった昔あったモノが徐々に失われていく恐怖がゲームをし続けることを妨げているように感じる。
更に、ゲームで得られるモノはほぼない。なぜなら、ゲームは誰にでもできるように作られている暇つぶしのための道具だからだ。誰にもでもできるゲームをやったとしても得られるモノがなく、ただ無為に時間が過ぎる。そういった損をしているように感じる部分も影響しているように思う。
つまり、年を取り日々失うモノが目につくようになったことと、ゲームで得られるモノが無いという事実に気が付いた結果、ゲームをし続けにくくなったと考えると腑に落ちる。
大人は大人のゲームをし出す
では、ゲームをし続けられない人は何をするのか?それは、パチスロや麻雀などの賭け事、草野球やフットサルなどのスポーツ、カラオケなどの娯楽なんだと思う。なぜなら、それらはお金や仲間など得られるモノがあるから。
もちろんゲームでもお金や仲間を手にすることができる。がしかし、現実的ではない。ゲームでお金を稼げるのは一握りであり、仲間に関しても住んでいる地域などの物理的な距離があったりする。子供であればゲームのような非現実的なモノをし続けたとしても日々成長しているため余裕があるが、大人にはそれらの余裕はない。なので、大人は目の前にある現実的な大人のゲームをし出すのではないかと思う。
もちろん僕もゲームをし続けられないため、お金を稼ぐためにどうするかという大人のゲームをしている。
大人でもゲームはするが…
とはいえ、大人の中には変わらずゲームをし続ける人たちはいる。先にも書いたが、ゲームは誰でもきるが故に没頭しやすい。現実と違って思い通りに物事が進むためストレス発散的な役割がある。なので、大人になってもゲームはする。
がしかし、年を取れば取るほど失うモノが目に付くわけで、その恐怖からゲームをし続けることも難しくなり、昔より集中してゲームに集中できる大人は少ないのではないだろうか?時間に余裕がある時にゲームをしようと思う大人は少ないのではないだろうか?ゲームではなく何か資格の勉強や普段できないことをして何かを得ようとするのではないだろうか?
非現実的なゲームを疑問持たずできるのは、日々成長して何かを得ている子供であって、日々何かを失っている大人がゲームをし続けられないのも当然なのかもしれない。
終わり
子供の時ですら一日中ゲームをして後悔をしていたから。ゲームは無駄なんだと思う。そして、大人になって失うモノが目につき始めて「ゲームをする=何か失う」という関係になり、ゲームをし続けられなくなったと考えると腑に落ちるかな。
受験生の時の感覚が割と近いのかもしれない。行きたい高校があって、ゲームをすることでその高校に受からないという「ゲームをする=志望校に落ちる」という関係性。もし、これが合っている場合、大人は受験生と同じようなストレスを抱えて日々を生きていることになるのか?
そして、そのストレス発散をゲームでしようと思うと何も得られるモノがないから、賭け事やスポーツやアミューズメントなどで発散して少しでも何かを得ようとする。そう考えると合理的なのかなと思う。
実際、僕もゲーム以外の娯楽で何かを得ようと行動をしようとする傾向があるし、大人になると自然とそうなるのかもね。