家で作業をしない理由
ふと、仕事や趣味の作業をコワーキングスペースやネカフェなどの外でやって、家では絶対にしないなぁーって思ったので書き出し。
家でやらない理由
家で仕事や作業をしないのは集中し辛いから。
家だとゲームやyoutubeなどの誘惑があって単純に集中し辛いんだよね。だから、コワーキングスペースやネカフェなど人のいる環境で作業をする。
とはいえ、家でも集中して作業をすること自体はできるんだよね。
例えば、納期が迫っているとかの理由があれば集中できる。でも、それは焦って作業をしているだけで、ミスをする可能性があるネガティブな集中なんだと思う。
そして、僕がしたいのはそういうミスをしないようにするポジティブな集中だから、家では作業をせずに外で作業をするんだと思う。
集中したい理由
とはいえ、なぜポジティブな集中をしたいのか?
それは、僕自身が納得する良いものを作りたいってのが目的としてあるからなんだと思う。
というのも、仕事って普通にやっても楽しくないんだよね。だから、楽しむためにはどうするか?って考え、遊び方の1つとして自分自身が納得するモノを作るって方法を考えた。
趣味の作業も同じような理由で、自分のためになる趣味だからさ、どうせなら納得するモノを作った方が面白い。だから、納得するモノが作りやすい外に行くんだと思う。
外だと納得するものができる理由
じゃあ、なんで外だと良いものができるのか?
それは、外に出ることで選択肢が少なくなるからなんだと思う。
というのも、自宅だとゲームやyoutubeのような選択肢が小休止の度に出てきてしまうが、外で人の目がある環境でそれらの行動は取りづらい。なので、小休止があったとしてもネットサーフィンくらいで、基本的に目の前のパソコン作業に集中し続けることができる。
そういう目的(納得いくモノを作る)に対して余計な行動(ゲームやyoutube)の選択肢が無くなり、目移りが少なくなるから納得するモノができるのかなぁって思う。
それに、実際クオリティが違うんだよね。なんというのかなぁ、深さが違うって言うのかな?外だと邪魔をするものがほぼないから、家と比べてより深く物事を考えられる感覚があるんだよね。考え事みたいに抽象的なことを考えていると顕著に感じる。
という具合に、外で作業をすると選択肢が少なく、深く物事を考えることができるから納得する良いモノができるんじゃないかと思う。まぁ、自己満足だけどね。
環境(人の目)があるかないかの違い
外に行くことの何が重要か?を考えると、「人の目」があることが一番重要みたい。というのも、人の目があるだけで僕自身の行動の優先順位が大きく変わるから。
例えば、以下みたいな優先順位。
【家(人の目がない環境)での優先順位】
- Easy:ゲーム、youtube
- Normal:日記の翻訳、慣れた仕事
- Hard:日記(考えごとをまとめる)作業、頭を使う仕事
【外(人の目がある環境)での優先順位】
- Easy:日記の翻訳、慣れた仕事
- Normal:日記(日々の考えごとをまとめる)作業、頭を使う仕事
- Hard:ゲーム、youtube
というような感じで、人の目の有無で僕の取りやすい行動は大きく変わっている。
だから、取りたい行動に合わせて僕は人の目がある環境に行ったり行かなかったりしているのかなぁと思う。
目的に合致しない行動を取ることがある
とはいえ、人の目のある環境に行きたくないって感じることがあるんだよなぁ。
コワーキングスペースが閉まり、ネカフェに移動する時に良く感じる。その時は「疲れているんだろうなぁ」って思うんだけど、この時「目的」が「疲れを取る」に変わっているんだと思う。そして、僕が日常的に掲げている「欲しかったモノを作る」という目的が後ろに隠れてしまっているんだと思う。
だから、その疲れを取るために家に帰るとその日はそれ以上疲れる事が無くなるから「疲れを取る」という目的は達成されるけど、「欲しかったモノを作る」という目的を達成する上では家という環境は作業がし辛く、多くの場合で「ネカフェに行っておけば良かった」と後悔する。
そういう感じで、「目的」というのは時と場合でコロコロ変わって、目的も常に認識して気を付けておかないと後々後悔するのかなぁって思う。
この辺は分かりやすさってのが原因なのかもしれない。「疲れている」って分かりやすいもんなぁ…。なので、普段と異なる行動を取りそうな時、自身が日常的に掲げている「目的」が別の「目的」に変わっている可能性を確認し、本当にその行動を取ってもいいのかを考えるべきなのかもしれない。
まぁ、ここまで考えて行動する必要は無いとは思うけど、疲れたみたいなネガティブな理由の場合は、大体後悔するから疲れたとしてもいつもと同じ行動は取った方がいいんだと思う。
終わりに
最後の方はかなり抽象的な部分に触れたから、言語化がしんどかった。(余計だったかも?)
それに、目的に応じて環境を変えるってのは至極当然なことで、当たり前のことを当たり前に言っているような感覚で「何言っているんだ?」って感じる僕がいたわ。
だって、僕の書いたことって「サッカー選手になりたかったら、サッカー選手を目指している人がたくさんいる環境に行きなさい」ってことな気がするし…。
けど、違うんだ。今回の日記で気づいたことってのは、「サッカー選手を目指している人がたくさんいる環境に来る人は、本気でサッカー選手を目指している」って事なんだと思う。結論からその人が何を思ってその環境に来たかを言語化しているんじゃないかなぁ。
まぁ、相変わらず当たり前のことでしかないんだけど、僕は普段「僕はなんでこう感じるんだろう?」という主観的に考えることが多くて、「コワーキングスペースになんで僕はいるんだろう?」って環境を基準にあまり考えたことが無かったから、そういう意味で新鮮だった。(抽象的でよくわからんくなってきた…)