日記を読み返さない理由
数えたら7年くらいこのブログで日記を書いているんだけどさ、備忘録と違って日記って読み返すことがないなぁって思ったので書き出し。
読み返さない理由
なんで日記を読み返さないのか?って考えると、僕自身が体験したことや感じたことを書いているから読み返さなくても覚えているんだよね。
だから、読み返さないって考えると納得なんだけど、僕は漫画を描いてて漫画は読み返すんだわ。
日記も漫画も僕の中から出てきたモノで、出所は同じはずなのに違いがあるのはなんでだろうか?
日記と漫画の違い
違いとしては、「イメージ」の解像度の違いがある気がする。
というのも、日記は僕の感じた「イメージ」を「文章」に書き出して、漫画は「イメージ」を「絵」として描き出す。
同じ「イメージ」をかきだすという作業をして他人に伝わるように翻訳をしているんだけど、日記(文章)から得られる「イメージ」より僕の中にある「イメージ」の方が解像度が高いから読み返す必要がない。逆に、漫画は僕の中の「イメージ」より漫画(絵)の方が「イメージ」の解像度が高いから読み返す必要がある。
そういう「イメージ」の解像度(具体性)の違いがあるから、日記は読み返さず漫画は読み返すのかなぁって思う。
読み返す日記
日記を読み返さないとはいえ、中には読み返す日記もある。
それは、何か体験した時の日記。
例えば、海外に行った時の日記なんかは再び海外に行く時に確認したりする。なぜなら、当時調べたこととかが書かれていたりするから。
そういう日記は、プログラミングの備忘録と似た役割があるのかなぁって思う。
まぁ、全部が全部覚えていられないしね。備忘録としての機能がある日記は読み返すのかなぁって思う。
読み返さない日記
逆に、読み返さない日記がどういうものなのかって考えると、抽象的なモノを書いている日記は読み返さないわ。
例えば、「僕はどうしてイライラするんだろう?」みたいな感情みたいな抽象的なモノについて書き出した日記は読み返さない。
だって、抽象的過ぎてそもそも言語に翻訳するのが難しいし、その抽象的なものを言語に翻訳するために何度もリライトをして、頭の中に「イメージ」がこびりついてしまって忘れない。
嫌なことって中々忘れないってやつなのかもしれない、抽象的過ぎて毎回まとめるのに苦しんでいるし。
だから、読み返さない。
読みやすい日記、書きやすい日記
あと、読みやすい(書きやすい)日記ってのもある。
なんで読みやすいのかって考えると、「イメージ」しやすいってのがある気がする。
例えば、漫画や仕事で感じる抽象的な日記は読みやすい(書きやすい)モノが多いい気がする。なぜなら、僕という登場人物がいて僕が「何かを感じた→なんでだろう?→こういうことじゃないか→なるほど」って感じで筋道がしっかりしてわかりやすいから。また、僕の中で全てが完結していて他者に言及しなくて済むので、証明のようなことをしなくていい。
そういう、「イメージ」がしやすく、客観的な証明が不要で主観で解決するような日記だと読みやすい(書きやすい)気がする。
終わりに
まとめると、抽象的な日記は読み返さないけど、具体的で「イメージ」がしやすい日記は読み返すってことなのかなぁって思う。
言い換えるなら日記の内容を「覚えている」から読み返さないって話しで、当たり前のことなんだよなぁ。
んー最近、当たり前の結果が行き着くことが多いい気がする。けど、この日記を書こうと思い立った時は当たり前の結果に行き着くことを考えて書いてないんだよね。
なんかズレがある気がする。
なんだろうなぁ…思考的な誘導がある気がする。というのも、頭の中にある「イメージ」を言語に翻訳する都合、「他人に伝わる」方向に思考が誘導されているって言うのかなぁ?
最初に見ていた「僕独自の視点」から、「世間一般の当たり前の視点」に徐々に誘導されている感覚がある。
実際、誰でも見れるようにしている都合そちら側を意識しているのもあるんだけど、最近書いている日記って抽象的な日記が多くて、そもそも他人が読んでも理解がしづらいんだよね。だから、わざわざ「他人に伝わる」ことを想定して書く必要無い気がするんだよね。
ちょっと考えるか…