愚痴
愚痴を聞いると「早く終わらねぇかなぁー」って思ったので書き出し。
愚痴が怠い
愚痴を聞いていると凄く怠くなる。理由としては、愚痴は聞いても面白くないってのがあるんだと思う。というのも、愚痴はストレス発散の側面が強くて、外に吐き出すことが目的だから、話の構成とか他人に面白く話すことが目的になっていないという理由から聞いてても面白くないんじゃないかと思う。
また、愚痴は問題解決を目的としていないことが多いい気がする。吐き出すことが目的で解決を求めていないため、聞いている側からすると無駄で何の生産性もない時間になってしまう。
最後に、知らん人の愚痴を言われても「知らんがな」という話で、共通認識外の話が多いい気がする。そういった理由から、愚痴は退屈に感じるんだと思う。
愚痴と会話は紙一重
とは言え、愚痴を言う側も「愚痴を言うぞ!」とは思っていないんじゃないかと思う。会話をするつもりで話を振るが、聞き手側がそれに興味を持たない結果、愚痴になっているだけなんじゃないかと思った。だとすると、話し手だけの問題ではなく、聞き手側にも問題があるという話になってくるんだと思う。
努力不足が愚痴を生む
話し手は会話をしようと試みるが、聞き手が興味を持たないから愚痴になっているとすると、双方の努力不足が愚痴を生んでいることになる。話し手は聞き手に興味を持ってもらうための努力を怠っているし、聞き手は相手の話に興味を持つ努力を怠っているという話。なので、どちらかが努力をし歩み寄ることで愚痴という現象は起きないんだと思う。
愚痴は治らない
双方が努力をすれば愚痴は生まれないとはいえ、それは不可能な気がする。なぜなら、その努力をする必要性があまりないから。また、話し手と聞き手のミスマッチが愚痴を生んでいるだけで、近い年齢や共通認識を持った人との会話であれば愚痴にはならず会話として成立する。わざわざ、努力をして愚痴を面白くする必要はなく、相手を変えればいいだけなのだから愚痴は治らない気がした。
更に、話すことが楽しいというのも治らない一因になっていると思う。というのも、愚痴にしろ会話にしろ誰かが聞いてくれている状態は気持ちが良い。相手が退屈に感じていたとしても、話し手は気持ちが良いのだから治す理由が無い。だから治らないんじゃないかと思う。
愚痴への対処方法
そう考えると、僕側の努力次第なのかなぁって思う。相手がつまらない話をしていたとしても、それにちゃんと反応してあげる。相手も話を振る以上、何か反応が欲しくてしているわけなのだから、その欲している反応(共感など)をしてあげるべきなのかなぁって思う。そうすることで、愚痴を減らせるのかなぁって思う。
とは言え、校長先生の挨拶みたいな一方的な会話?に関してはどうしようもないわけで、それに関しては話し手が努力すべき問題なんだと思う。
終わりに
愚痴を聞いてて、露骨に態度に現れる僕がいて気になって書き出した。書き出してみて、相手は愚痴を言おうとして言っているわけじゃなくて、会話をしようとして愚痴を言っているというのは確かにって思った。僕も、会社の愚痴を言って同僚と盛り上がったりする。そうやって共感を得られた時、愚痴は愚痴ではなく会話に昇華されているということなんだと思う。だから、愚痴を愚痴とたらしめているのは聞き手である僕なんだろうね。なので、退屈な時間を過ごすくらいなら興味を持って会話に昇華しちゃった方が良いのかなぁって思った。
しかし、今回の日記は全体的にしっくり来ないわ。なんだろう?答えが自分の中じゃなくて外にあるからなのかもしれない。「愚痴とは?」って感じで愚痴の定義に若干かかっていたり、「相手が何故愚痴を言うのか?」って答えが僕の外にあるもんなぁ…。とは言え、掘り下げてもそこまで面白くなさそうだし、気になって作業に影響が出そうなのでここいらにしておこうと思う。機会があったらもう少し深く考えてみたいかな。