日記

期待

何かやたらとやりたくないと感じ、集中できない時があったので書き出し。

なんかめっちゃやりたくなかった

漫画の作業をしている時に強く「やりたくない」と感じる時があった。それは、9.5話3ページ目で起きた。普段から「漫画の作業をしたくない」と感じることは頻繫にあるのだが、それとは比較にならないくらい強く「やりたくない」と感じた。しかも、3ページ目は過去一少ないコマ数で3コマしかないし、ややこしい背景とかもないので今まで描いてきたページの中でも楽な部類に入る。にも関わらず、なんか「めっちゃやりたくない」って感じて不思議だった。

やりたくない理由

なので、なぜやりたくないのかを考えた。すると、「自分自身に対する期待」が大きくなっている事に気づいた。というのも、僕は漫画を描き続けていて描けば描くほど上達していると感じている。また、話・ページ・コマごとに課題をそれぞれ設定し、レベルの高い合格点を越える結果をオールウェイズ出してくれている。そうなると、「次はもっと上手い、その次は更に上手くなっている」という感じで無意識に自分自身に期待をしてしまったんだと思う。

けど、現実の僕は1歩ずつしか成長できないわけで、現実は1歩ずつ進んでいるのに期待は2歩3歩とどんどん前に行ってしまう。その結果、現実と期待にズレが生まれる。漫画と向き合うことは、そのズレを認識することでそれは凄いストレスなんだと思う。だから、めっちゃやりたくないって感じたとすると納得。

これは、言い換えるなら「何がわからないかが分からない」状態なのかなぁって思う。勉強でも何が分からないかがわからなければ対応しようがないように、現実と期待の間のズレ(溝)は「どうしたら埋められるのかが分からない」というモノで、それと向き合うことはストレスだし凄く大変。そりゃ、やりたくないよなぁって帰りの車の中で思った。

勝手に膨れ上がる期待

そして、思った。期待というモノは勝手に膨れ上がるんだなと。これに関してはしょうがないとは思う。上に書いた通り、描けば描くほど上達していると感じるのは本当だし、自分に課題を課してもなんやかんやで合格点に近い点数を出すし、言語化して足場を固めながらやっているので進むべき道に迷うことがなく先を見やすいんだよね。だから、期待をしてしまうのは仕方ないと思う。

ただ、その期待が僕の想像以上に大きくなっているのは予想外だった。というのも、僕は1歩ずつしか進めないことを理解している。昨日出来なかったことが急にできるようになることは無く、1日1日の積み重ねで徐々にできるようになると理解している。そこを理解しているはずなのに、2歩3歩4歩5歩と勝手に前に進んでいる僕が僕の中にいることは本当に予想外で驚いた。

「めっちゃやりたくない」への対処方法

じゃあ、その何歩も先に進んでしまった期待と現実のズレによって生まれたストレス「めっちゃやりたくない」をどうすればいいのか?

それは、いつも通りの対処方法が使えると思う。というのも、ストレスを感じている時には必ずストレスの原因があるから、それを探し出して潰すことでストレスは無くすことができる。という、いつもやっていることをやればいいんだけど、今回の場合は「めっちゃやりたくない」と感じ、そもそもストレスと正面から向き合うことすらできない状態。だから、まずは「どうすれば向き合えるのか?」って部分をなんとかしないと原因を探すことすらできない。

なので、「めっちゃやりたくない(ストレス)」とどうすれば向き合えるか?

それは、ストレスを一度無視する事なんだと思う。そして、それは動画のバックグラウンド再生が有効だった。これも、日記で何度か書いているんだけど、動画をバックグラウンド再生すると体は漫画を描いているが、意識は動画を向いているという感じで「やりたくない」を意識しなくて済むんだよね。言い換えるのであれば、本能は漫画を描き、理性は動画を聞いているという感覚が近い。という感じで、動画をバックグラウンド再生することでストレスから意識を逸らし、体はストレス発生源と向き合いストレスの原因を見つけることができた。

とりあえず手を動かすことの重要性

そして、今回最も重要なことは「とりあえず手を動かす」なんだと思う。

というのも、今回の「めっちゃやりたくない」もそうなのだが、ストレスには原因があり、その原因はストレスの中にある。なので、まずはストレスの中に手を突っ込んで、何が原因なのかを探し出す必要がある。また、経験談だが多くのストレスは複雑に絡まっている(シンプルならすぐに見つかるし、すぐに解決するからそもそもストレスにはならない)。例えるなら、複雑に絡まった糸。その絡まった糸を触らずに眺めていても独りでに解けることはないわけで、手を突っ込み試行錯誤を繰り返し紐解くしかない。だから、まずは「とりあえず手を動かす」必要がある。

今回は、その大事な「とりあえず手を動かす」が「めっちゃやりたくない」とストレスが強すぎて出来なかったことが大きな要因なんだと思う。だから、動画をバックグラウンド再生することで「めっちゃやりたくない」と感じる理性を追いやって、「とりあえず手を動かす」ことで原因を探した。そして、手を動かし続けてたら何が絡まっているのかがわかり、それを1つずつ紐解いたら解決したってのが今回の流れかな。

だから、「とりあえず手を動かす」ことができるのであれば、対処方法は動画のバックグラウンド再生じゃなくても良いんだと思う。

なんで「めっちゃやりたくなかった」のか?

で、今回の「めっちゃやりたくない」の原因がなんだったのか?

それは、漫画における課題設定が凄い細かくなっていることが原因だった。というのも、普段は「話・ページ・コマ」ごとに課題を設定しているんだけど、今回の3ページ目ではコマ内の「キャラ・背景・パース」にも課題を設定している僕がいた。具体的には、モブキャラにもしっかりキャラ付けしたり、そのキャラに合うポーズ、パース的におかしくないポーズを描くという「読者的にはどうでもいいんじゃね?」って感じるような細かい部分にも課題を設定していて、それに気づかずに描いたことが原因だった。

なので、モブキャラにもキャラ付けして、そのキャラが取りそうなポーズや行動に調整してって感じで、1つずつ対応したら「めっちゃやりたくない(ストレス)」が消えた。

これは、本当に不思議だった。だって、今までそこまで気にしたことがないし、僕自身「え?ここまで気にする?」感じて本当に驚いた。たぶん、言語化しながらやっているのもあって、「あれもこれも全て、キチンと説明できる必要があるんだ!」って感じで自分自身に対する期待が大きくなったことが影響しているんだと思う。

流れをまとめると、「めっちゃやりたくない」とストレスを感じて上手く作業が進まないから「めっちゃやりたくない」と感じる理性をどこか(動画)に追いやって「とりあえず手を動か」した。そして、手を動かしたことで何が原因で「めっちゃやりたくない」のかがわかったから、どこか(動画)に追いやった理性を連れ戻して「どうすれば解決できるのか?」を考え言語化し、1つずつ対応をしていくことで問題を解決した。って感じの流れ。

そんな9.5話はこれ。

おまけ:他の人どうやって対応してんの?

それで思ったんだけど、他の人ってどうやって「めっちゃやりたくない」に対処してんだ?

って思ったが、辞めるか。そもそも「めっちゃやりたくない」ってストレスを感じるようなことは普通しないよなぁーって思った。勉強で例えるなら、「勉強めっちゃやりたくない」って感じている人が勉強するか?って考えるとやらんわ。勉強しないで何か別の自分に向いていることを探すだろうから、そもそもやらないよね。

なので、「めっちゃやりたくない」という状態と対峙することがそもそも無いと考えると納得。ただ、「やりたくない」と感じるような事はあるんだと思う。その場合は、「やらざるを得ない」状況に自分自身を追い込んで対処しているんじゃないか?って思う。例えば、テストや受験や納期が迫っているみたいな「やらざるを得ない」状況に自分自身を追い込む。これらは受動的な追い込み方だけど、能動的に追い込むなら予備校に行ったり、何か資格の受験に申し込んだり、納期ギリギリまで遊ぶとかなのかなぁ?そういう感じで、「やらざるを得ない」状況に追い込むことで「やりたくない」に対処するんだと思う。

ふと思ったがこれ、鬱病になる原因なんじゃないか?と言うのも、「やらざるを得ない」状況に追い込んだり追い込まれたりするのは多くの人が体験することだと思うんだけどさ、「やりたくない」ってストレスの原因ってそのストレスの中にしかないわけで、手を突っ込んで「とりあえず手を動かす」必要があるんだけど、そもそもストレスだから手を突っ込みたくないと感じる。「やらざるを得ない」状況と「向き合いたくないストレス」、という2つのストレスに挟まれて逃げ場を無くして鬱病になるって考えると「まぁ、なるか」と納得できる。そして、ストレスへの対処方法、ストレスの潰し方を知らないから鬱病になるのかなぁって思った。

とは言え、自分一人だとどうしようもない場合も確かにある。けど、ストレスが小さい内に手を突っ込んで「とりあえず手を動かす」なり対応していれば、そんなに大きく成長することはないわけだから、結局のところ自分自身を甘やかした結果とも言える。とすると、「鬱病は甘え」というのもあながち間違えではないんだと思う。

まぁ、鬱病になった人に「鬱病は甘え」って言うのは死体蹴り感が半端ないから、「ストレスを放置するのは甘え」みたいに鬱病になる前の段階で言うのが一番いいのかなぁって思った。

終わりに

今回の日記は本当に大きな気づきだったわ。自分自身に対しての期待が膨れ、それが原因で作業に支障が出るとか思わなかったわ。特に、絵を描くことがそもそも嫌いだから、絵を描く僕自身に期待したことって一度も無かったんだよね。それもあって、絵を描く僕に期待をしている僕がいることに全く気づけなかった。だから、帰りの車の中で気づいて「あ、だからか!」って一人盛り上がったもん。まぁ、絵に関しては細かく課題を設定できるくらい上達したと考えると成長したって事だし良い事なんだろうね。

あと、「とりあえず手を動かした方がいい」ってのは、「めっちゃやりたくない」と感じていた時には既に理解し実行しようと思っていたんだけど、その時は動画をバックグラウンド再生することが対処方法として有効だとは思えなくて気づけなかったわ。というのも、ストレスへ対処しようと思うとストレスそのものと向き合う必要があるわけで、動画をバックグラウンド再生しちゃうと「理性(意識)は動画に行っちゃうから、ちゃんと向き合えない(考えられない)じゃん!」って感じで、有効な対処方法だとは思えなかったんだよね。例えるなら、仕事中に動画を流しながら仕事して集中できる?良い仕事ができますか?って話。だから、動画を流すべきではないが「めっちゃやりたくない(ストレス)」のせいで向き合うこともできないって感じで雁字搦めになってた(苦しかった)。

ただ、やたらと動画を流そうとしたり、ネットサーフィンし出す僕がいた。だから、無意識にそれが有効な対処方法であるとはわかっていたんだろうね。これは、もっと自分自身の内なる声に耳を傾ける必要があるということなんだと思う(十分傾けてたつもりだったけど…)。

最後に、今回の日記もマジでまとまらなかった。案の定、複数のテーマが混ざってたからまとまらなかった。なので、何度も「このくらい削ればいいか?もうちょいか?」って感じで混ざった複数のテーマを削って今回に至る(ただ、まだ混ざっている感がある…)。また、「面倒だし、なんとなく伝われば別にいいでしょ」って混ざった状態でリリースしようと思ったんだけど、漫画と同じで許さない僕がいて駄目だった。漫画でもそうだけど、リリースまでのスピードあげたいんだよね(時間かかりすぎ)。どっちも、スピードが最終的な課題になりそう。

という感じ、今回の日記はかなり大きな気づきでしたわ。

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