睡眠とストレス
睡眠の質が極端に落ちて、ストレス性皮膚炎を発症したので書き出し。
きっかけ
きっかけは模様替え。エアコンの風が直接当たる位置にベッドがあり、朝起きると喉が渇いてたりするのがずっと気になってたので模様替えした。
そしたら夜中に足が痒くなって寝れなかったり、漫画の作業中に蕁麻疹が出てきたり、風呂に入ると指先だけではなく手の平までシワシワになる現象が起き、調べるとストレスによるものだと判明した。
原因
原因としては、模様替えによる睡眠の質の低下のストレス。
というのも、僕の部屋には西向きの出窓があって、模様替え前は出窓のすぐ下にベッドがあったから日差しが直接当たることは無かったんだけど、模様替えをしたら日差しが直接当たるようになって眩しく寝れないってことでストレスを感じてたみたい。
もちろん出窓にはカーテンがあったんだけど、遮光機能が無く貫通する日差しのせいで脳が覚醒してたっぽい。しかも西向きの出窓なんだけど、隣家が平屋で瓦が日差しを反射して出窓に入り、想像以上に部屋が明るくなってたのも原因っぽい。
なので、遮光カーテンを買った。けど、隙間から漏れる日差しのせいで部屋が明るくなり、睡眠が妨害されて駄目だった。最終的には遮光シートを買って出窓全体を覆った、そしたら寝れるようになった。
想定外
正直、睡眠の質が下がっただけで病気を発症するとは思ってなかった。だって、10年以上漫画というストレスに向き合い続けてて、その間に今回のような病気を発症することはなかったから。
もちろん、目がヒクつくとか風邪のような一時的な病気を発症することはあった。けど、長期の病気を患ったのは今回が初めて。
なので、なぜ今回病気として発症したのかって考える。
発症した理由
まず、睡眠の質の低下が原因で病気を発症したわけなんだけどさ、症状が出るまで睡眠でストレスを感じていることを認識できてなかった。いつも通り寝て、いつも通り起きているという感じだった。そして、病気になって色々と症状が出始めてから「なんか寝づらいなぁ…」と気づきストレスを認識できるようになったって感じ。
これってつまり、「認識のできないストレス」が存在するって事なんだよね。僕の普段感じるストレスって能動的に漫画の作業や仕事をして「思い通りにならない(上手くいかない)」って時に感じるんだけど、それとは違う「認識のできないストレス」があるっぽい。
しかも、漫画や仕事のストレスは認識ができるから身構えること(ガード)で長期的な病気まではいかないけど、睡眠時のような無防備な時に感じる(認識のできない)ストレスだと大ダメージ喰らうっぽい。なので、ストレス性皮膚炎のような病気を発症したんじゃないかって思う。
認識できないストレス
じゃあ、この「認識のできないストレス」というのはなんなのか?って考えると、そのまんまで「認識(意識)のできないストレス」なのかなぁって思う。
というのも、睡眠というのは自宅で行うもので、自宅は本来ストレスとは無縁のセーフティーゾーン(ストレスフリー)なのでストレスを感じることを想定していない。また、自宅や睡眠でこれまでにストレスを感じたことはほぼ無い。自宅という環境と睡眠時にストレスを感じないのが当たり前。そういう当たり前が故に意識ができないのが「認識のできないストレス」なんだと思う。
そして、この「認識のできないストレス」ってのは主に本能による行動をする時に発生するんじゃないかって思う。
本能のストレス
本能のストレスとは、本能由来の行動におけるストレス。
例えば、睡眠や食事。これらは生きる上で必要なモノで、「寝るぞ」「食べるぞ」って考えて行動をするものではなく、無意識に当たり前のように行う本能的な行動。
実際、睡眠に関しては「寝るぞ」って意識した瞬間に寝落ちるんじゃなくて、目を閉じ気づいたら寝ている。その寝落ちて意識が出来ない時に感じるのが本能のストレス。そして、これは寝ているから認識ができない。
今回の例で言えば、本能は寝ようとするけど日差しが眩しく脳が覚醒してしまう。それでも、本能は寝ようとするが「思い通りにならない(上手く眠れず)」ストレスを感じる。それが何日も続き、理性に伝えるためには病気という形でSOS信号を出す。って感じなのかなぁって思う。
また、食事に関しても同じ。偏った食事や不摂生な食事をして、体(本能)がストレスを感じる。その結果、生活習慣病などの病気を発症させて認識できるようにする。
という感じで、本能のストレスというのは「認識のできないストレス」。
そう考えると、理性というのはブレーキのような役割があるのかもしれない。間違った道を気づかずに進んでいて、これ以上進むと取り返しがつかないから理性でブレーキを踏んでそうならないようにする。それを伝えるサインやシグナルが病気なのかなぁって思った。
違い
粗方言語化したけど、「認識のできない(本能の)ストレス」と「認識のできる(理性の)ストレス」の違いってなんだろう?
認識できるかできないか?やブレーキの有無くらいなのかなぁ?ストレス自体に強弱のような差はない気がする。
というのも、本能にはブレーキ機能がないのでストレスという名の熱湯にずっと浸かってしまう。そして、のぼせることで理性が「限界なんだ」って気付き出る。理性は「熱い、もう限界」って余裕を持って出るって感じ。
認識できるかできないか、ブレーキ機能の有無の違いのみで、熱湯の温度(ストレス)は同じだと思う。そして、病気は熱湯に浸かり過ぎた火傷のような症状なんだと思う。そう考えると納得かな。
持続性
違いはわかったが、病気として発症して1ヶ月以上経っているのに中々治らんのよね。少しづつ良くはなっているんだけど、全快には時間がかかるって感じ。
上の例を使うなら熱湯の温度が高すぎて火傷を負ったという状態って考えると腑に落ちるんだけど、火傷のような外傷だけじゃなくて、内部の組織を破壊して循環障害を起こしているみたいな内傷も起きているから病気が中々治らないのかもしれない。
要は、ストレスという名の熱湯に浸かり過ぎたことによる病気は1つじゃなくて複数罹っている。だから長期化しているって話。また、火傷を負っているのに度々熱湯(ストレス)に入っているせいで治らないってのもあるかなぁ。安静にしてないもんよ。そりゃ長期化しますわ。
まぁ、あまりにも治らないなら病院行くんだけど、原因はわかっているから安静にしろとしか言われない気がする。この辺は経過観測が必要かなぁって思う。
終わりに
熱湯の例えはわかりやすいなぁ。火傷してんのに度々熱湯に入って「治らない!」って言っているわけで、「安静にしてろや!」って話だもんよ。
ただ、この熱湯って僕は熱湯に感じているけど、他人からすると適温だったりぬるかったりって具合に、その人によって捉え方が変わる気がするんだよね。というのも、僕は絵を描くのが嫌いですっごいストレス(熱い)って感じるんだけど、絵を描くのが好きで描いている人もいるわけで、その人からするとぬるいって真逆の感じ方すると思うんだよね。
って感じで、認識によってストレスという名のお湯の感じ方が変わる。だから、僕の方も認識を変えれば良いのかもしれない。そして、ちょうど認識を変えた例がある。
カナダに行った時にダウンタウンの格安のホテルに泊まったんだけどさ、夜中の寝ている時に工事の音で目が覚めたことがあった。噓だろって思うくらいドリルの音が響いててさ、日本だったら有り得ないし、こんなんやられたら寝れないって思ったんだよね。けど、「海外ではこれが当たり前か」って感じで認識をアップデートしたら朝までぐっすり寝れた。
という感じで、最初は熱湯(ストレス)に感じてたんだけど、認識を変えたら適温に感じたって例。
そういう感じで、認識次第でストレスの温度は変わるんかなぁって思う。なので、今の僕は火傷をしてたり、内傷を負っているわけだけど、ストレスを適温やぬるいって感じるように認識のアップデートを行えば、安静にすることなく完治するんじゃないか?って思う。
たぶんいけると思うんだよなぁ。ただ、火傷が治らないことがストレスになったり、それが風邪のような短期的な病気を呼んでストレスって感じで、ストレスを感じない環境で安静にしないと駄目かもしらん。難しいわ。