10話描き切った
少し前に10話を1年近くかけて描き切ったんだけど、それで色々と思うことがあったので書き出し。
反応がない
まずは反応がないっすねー。個人的には自信があったんすけど反応がないっすねー。
僕から見ると言語化しながら描いているのもあって成長したのがわかる。だから「めっちゃ絵が上手くなっているじゃん!」みたいな反応を期待してた。けど、反応がないっすねー。
この辺は以前書いた「頑張って描いたんだからまずは”ご苦労様”だろう!?」って労いの言葉が欲しいって面からきているのかなぁって思う。けど、そういう労いの言葉がない…。
9.5話で「頑張ったやん」みたいなコメントを貰えてたのもあってそういうコメントを求めちゃったんだと思う。
読者=編集
また、この作品は漫画家志望が投稿するようなサイトにも投稿してて、そこでは編集さんが直接作品を見てくれるって環境なんだけど、そこでも反応がないっすねー。
投稿した理由としては、読者と編集では見る視点が異なると思ったから。
というのも、読者目線だと作家さんの存在を認識し辛いんだよね。僕もそうだったけど、面白いかどうかだったり、絵が好みかどうかって感じでしか作品を見なかった。けど、編集さんは作家さんと直に接しているわけで、作家さんのそういう見えない頑張りを評価してくれるんじゃないか?って考え投稿してみた。
特に、9話から10話にかけての変化。言語化しながら描き、それらを絵に落とし込んでいるのもあり、そういう見えない部分を編集さんなら評価してくれるんじゃないか?と思った。
けど、そっちからも反応がないっすねー。
しかも、そのサイトで反応が貰えている作品ってのが、絵が上手かったり描き慣れてそうな感じの読者受けしそうな作品ばっかりだった。
それで思った。結局のところ漫画は読者が読むものだから、編集も読者目線で作品を評価するのかなぁって、当たり前っちゃ当たり前よな。
ただ、この辺はサイトの性質もあるんだと思う。持ち込みみたいに物理的に編集の時間を奪ったりすれば、編集も作品をしっかりと読んで、そういう頑張り部分とかを探そうとするけど、サイトにはたくさんの作品が投稿されているわけで、1作品1作品ずつそういう見えづらい頑張りを探したりはしないよなぁって思う。
だから、パッと見で分かりやすいものが評価されるってのも当たり前で、見えない所を評価してもらおうと思ったら持ち込みをする必要があるのかなぁって思う。
連載モノ
あと、僕が描いている作品って連載モノで、それ故に反応がないって面もあるのかなぁって思う。
というのも、連載モノって途中からだと入り辛いんだよね。漫画アプリとか見てても最新話より1話の方が圧倒的に視聴回数が多いい。それは最新話で興味を持った人が1話から読み直すからで、多くの作品で1話から最新話にかけて徐々に視聴回数が減っているの見るに、最新話を評価して欲しいってのは中々難しいのかもしれない。
それに、僕の描いている1話って(絵的に)まぁひどいのよ。最新話で興味を持ってもらったとしても1話で脱落するって感じで「そりゃ読まれない(反応がない)よなぁ…」って思った。
何か尖った武器があればいいんだけど、10話までにやってきたことって「漫画っぽく」描くって感じで、他と比べて尖っている要素が無いんよね。だから連載モノで反応を貰おうと思うと、最新話で如何に興味を引くようなことをするか、如何に面白くするかの対応が必要なんだと思う。
以上が反応がなかった事に対して思ったことの書き出し。
ショックは無かった
反応は無かったんだけど、同時にショックを受けるとかも無かった。なんでかって考えると、僕自身面白くはないって認識してるからだと思う。
というのも、僕の描いている作品って何がメインテーマかってのが分かりづらいんよね。年の差恋愛がテーマかって思ったら、(ドタバタ)コメディー要素が多いいって感じで、作品としてのテーマが分かりづらい。また、更新のテンポなんかも悪かったり、絵も微妙だったりって感じで、何を楽しみに読めばいいか分かりづらい。
って感じで、僕自身評価し辛いって感じている。だから、「まぁ、そうだよね」って感じ。ただ、9話から10話にかけて大きく成長したと実感してて、その見え辛い部分であれば評価してもらえるんじゃね?って思ってた。それ故の「反応がない…」なんだと思う。
あとは、反応があろうが無かろうが12話までは描き切るって決めていて、評価や反応があろうが無かろうがやることは変わらないってのも大きいんだと思う。
反応が無くて良かった
また、反応が無くて良かったって感じる僕がいるのも影響している。
というのも、色々と試行錯誤をしたいんだけど、それを試す上で読者の存在が気になってたんだよね。けど、反応が無いんだったら「自由に描いていいんじゃね?」って試行錯誤の余地が生まれたから良かった。
もし、反応があったりすると読者を意識し過ぎて「こうしないといけない」とか「期待に応えないといけない」みたいなプレッシャーを感じてバランスを崩しそうな気がする。特に今の僕って足場が固まっていないから変な崩れ方しそうで怖い。だから、そういうプレッシャーを感じずに試行錯誤ができるという意味でよかった。
とはいえ、全く反応が無いわけではない。プレッシャーを感じなくて済む程度の反応で済んだからよかったって感じ。
読めればいいんじゃね?
1年かけて10話を描き切ってみたんだけど、とりあえず読めればいいんじゃね?って感じたわ。
というのも、僕としては全力で描いたんだけど、それが伝わっている感じが無さげなんだわ。だから、読者って漫画を読む時に大して絵を見ていないんじゃね?読めればなんでもいいんじゃね?って思った。
実際、僕も漫画を読む時に絵を読んでいるか?って言うと、絵ではなく吹き出しのテキストやオノマトペを読んでいるって感じる。だから、絵を大して見ていないって面はあると思う。
なので、読めればいいんじゃね?って思った。
原点回帰
ただ、1~8話までは「読めればいいんじゃね?」って描いてたんだよね。それで読まれなかったから9話以降は絵の方をしっかりと描くようになった。そして、10話まで描いて「やっぱ、読めればいいんじゃね?」って戻ってきたって感じ。
この辺は漫画における最低のラインがあって、それを超えているかどうか?って部分が絡んでいる気がする。1~8話では最低ライン以下だったけど、9話では少しづつ最低ラインに近づいて、10話で完全に最低ラインを越したって感じなんだと思う。
実際、10話を描き切って「やっとスタートラインに立てた」って感じたし。
なので、ここから最低ラインを越えた「読めればいいんじゃね?」の試行錯誤を始める感じかな。作画スピードも上げたいから、11話の課題はそれかもしれない。
コメント
ちょっと気になったんだけど、コメント内容もちょこちょこ変化してた。
1~8話ではコメントが無かったけど、9話では僕(作者)に対するコメントがあって、10話では作品に対するコメントって感じの変化があった。
最低ライン以下だと作品に集中できないから作家が見え隠れするけど、最低ラインを越えると作品に集中できて、作家の存在が見えなくなるのかなぁって思った。
終わりに
前々から「読めればいいんじゃね?」とは思っていたわけだけど、こうやって一度全力でやってみるみたいな試行錯誤がないと真の意味でそうは思えないのかなぁって思った。
しかし長かったわ。途中で手を抜きそうになったこともあったけど全力で10話描き切れた。まぁ、頑張ったわりに反応はなかったけどね。ただ、全力でやったから評価されるわけではないって気づきは良かったかも。なんとなく、全力で物事に取り組んだらそれは報われて当然だって考えてたりする面がある気がするし。
たぶん、「全力でやったら報われて当然」みたいなことを考えるのは、全力で取り組んで結果を出した人が世間という表に出るからなんだろうね。全力でやったけど結果が出なかった人もいるけど、そういう人の存在は表には出ず見えない。だから、「全力でやったら報われて当然」は誤解なんだと思う。
しかし、全力でやって目的地まで距離があるって事実は堪えるかもしれん。「あれだけ頑張ったのに、まだまだこれだけの距離がある!?」って感覚は確かにあった。
けど、どのみち12話までは描き切る予定で、やることは変わらないし、試行錯誤の余地や腑に落ちない部分もあるので、それらをクリアにしてなお距離があるようだったら、流石にショックを受けると思う。まぁ、そこまで行ったら十中八九お金には出来ていると思う。
最後に、そろそろ漫画を描くのが楽しくなるんじゃないかって感じている。
日記でもそうだったんだけど、最初は「まとまらねぇ!」って苦しんで数年後楽しくなった。漫画も「上手くいかねぇ」ってここ1年苦しんだからか、それ以上の苦しみは無いってことで楽しくなりそうな感覚がある。
そのおかげか仕事がクッソ楽に感じて、「仕事に逃げる」って言葉が僕の中でブームを起こしてる。
なので、もう少ししたら漫画も楽しくなるのかなぁって思う。今年中には楽しくなるように調整したいかなぁって思う。頑張る。