努力と才能についてpart2
多分part2だと思う…3かもしれんな?二色人です
前回、自殺する人は努力しすぎって日記を書いたんだけど今回は僕が大好きな「才能と努力」について語ろうかな
なんで好きかって?
才能はこうで努力はああでって分けることで如何に僕が努力をしているかアピールをすることができるからだよ!
「努力は才能に勝てない」とかいう言葉あるから今回「努力は才能より万能」という言葉で才能を持っているやつを貶していくよー!
まず、才能についてだけど以前の日記で才能は「先天的・後天的」な才能があるって言ったけど要するに、他人と比較したときに優れていると感じる部分が”先天的な才能”で、その結果それを好きになるのが”後天的な才能”だと考えているんだよね
それを踏まえて、才能に努力が勝つことは不可能だと思っている
だって、あいつら好きでやってんだもん
嫌いでやりたくないやつが同じ土俵で戦って勝てるわけないじゃん
それは認める
でもね、努力って使い回しすることができるんだよね
どいうことかというと
前回の日記でも書いたけど努力って何か目標があったときに、その目標を達成するまでの過程で生じるストレスの事を指していて基本嫌いなことなんだよ
で、そのストレスと向き合って乗り越えようとすることが”努力”だと考えていてるんだよね
その”努力”は成功体験として記憶されていたりするんだけど、一つ成功体験があると自信になって”努力”が必要な時に自分を支えてくれるんだよ
例えば、サッカーが好きで「サッカー選手」という目的があったときにサッカーは好きだから辛い練習も苦ではないけど、そこに「テストで上位を取る」という目標を掲げた時にサッカーは好きだけど勉強は嫌いで、サッカーのために勉強を頑張れるわけじゃないんだよ
プロになってから伸び悩む人は今まで好きでやってたけど、プロになってからは”結果”が求められるようになって結果を出すための”努力”しないといけなくなるから伸び悩むのかもね
イチローもプロになってからは野球が楽しくなくなったって言ってたし
少し話がずれたけど、要は嫌いなことをする”努力”は目標を追い続けた時に必ずぶつかる壁であって、普段から嫌いなことでも続ける習慣を身につけていれば色々なところで使いまわせるよということが言いたかった
だから、僕は嫌いなことばっかりやっているから”努力”の下地はあるんだよ
意味不明なレベルの自信はあるね、死ぬまで目標追い続けるし
後は何か好きなこと”才能”が欲しいねー
って”才能”と”努力”は対立している構造として書いたけど、基本的には才能と努力はセットで才能が有りそうなものを目標にするから才能が全くないような嫌いな事は目標にしないんだよね
何かやってみてて「あ、これは自分に合うかも」って瞬間があったりすると思うけど、この瞬間が才能を見つけた瞬間だと思う
で、趣味から入って”目標”に昇華すんのかなーって思った
サッカー始めて1時間でサッカー選手目指そうとは思わないからね
だから、”努力”ってそもそもした人って少ないんだよね
“才能”があると思って始めた”目標”で、”才能”尽き始めてやっとぶつかる壁が”努力”だからさ
そう考えると僕は最初っから壁ばっかり…
って感じで、”才能”が限界を迎えて壁にぶち当たった壁自体を乗り越えることが”努力”なんじゃないすかねー
どう?
あ、最後に”努力”をしたいのであれば本気で嫌いなことをし続けるといいと思う
もし続けられるようなら、大体の壁は容易に乗り越えられるようになると思うよ、だって本気で嫌いなことをし続けてるんだから