日記

見えないことの重要性

よく行くカフェでコーヒーを頼む
コーヒーマシンから容器にコーヒーを注ぐため多少時間がかかるので、その間で席の確保をしていた

しかしある日、いつも通りコーヒーを注文して席の確保に行こうとしたらすぐに提供をされた
コーヒーマシンのゴゴゴゴゴという聞きなれた稼働音もなく提供され違和感を感じた
次の日確認すると冷蔵庫からピッチャー(麦茶とか入れる容器)を取り出しコーヒーを注いでいた

この時にがっかりする僕がいた
なぜがっかりしたのかについて書き出す

なぜ、ピッチャーで注がれるコーヒーにがっかりしたのか?
それは、手を抜いていると感じたから
普段はコーヒーマシンで出来立てを提供されてたのに、ピッチャーで既に用意されているコーヒーを提供されたことに手抜きを感じたんだと思う

もう少し掘り下げると、コーヒーと一緒に特別扱いという「非日常」に対してお金を払っていて、ピッチャーから注がれるコーヒーはその「非日常」感を壊す行為だったんだと思う

これは、居酒屋やレストランで皿に移し替えることなくパッケージに入った状態で提供されたり、某夢の国のマスコットキャラクターから人が出てきてその辺のベンチで煙草を吸っているような状態がたぶん近いんだと思う
わかっているし理解はできるんだけど、その事実を目の当たりにするとがっかりする

そういう、お客さんなんだから特別扱いをして欲しい、「非日常」を感じさせてほしい!という感情が根底にあり、ピッチャーで注がれるコーヒーはその願望を砕くには十分な行為だったんだと思う

だから、ピッチャーで事前に用意しておくのは時短というのは理解ができるが、特別扱いという「非日常」感を提供するため、そのような「非日常」感を壊すようなことは隠れて裏でやるべきなのだと思う

って話を嬉々として店員さんに話したら納得して次から裏でやるようになった

そういえば、バイトしてた時に少なからずクレーマーに出会ったことがあるんだけど、クレーマーは「自分は客だ!お客様だから特別扱いしろ!」という「非日常」を体験するために来ていて、癪に触るようなことがあると途端に「日常」に戻され「お客様」という「非日常」を感じたい願望を壊されがっかりする
そのがっかりを怒りに変換してクレーマーになるのかも

そう考えると、僕のお店側にやった行為も怒りこそないがプロセスは同じでクレーマーと同じなのかもしれない
しかし、僕は店員さんへ親切心からの提案をしていて、クレーマーの人も怒りで本質が見えなくなってはいるが、本質的にはお店側に改善提案をしているんじゃないかな?

だって、クレーマーがクレームを入れるには何かしら理由があって、そしてクレームは本質的には改善策の提案で「こうした方がお客さんは喜ぶよ」というメッセージ
本来良いこととして受け止めるべきなのに、怒った状態で言うせいでその本質が隠れて見えなくなっている気がした

そして、人は他人に対して興味がなく無関心と考えているが、クレーマーは初めてあった人にも「こうした方がお客さんは喜ぶよ」と伝えられる稀有な人材なんだと思う
もし、クレーマーの言うことを真摯に受け止め続けたら日本一のお店ができるかもしれない
今度クレーマーに遭遇するようなことがあったら、ちゃんと耳を傾けて真摯に受け止めてみようかなと考えさせられた
BtoC系の仕事は二度とするつもりないけど…

しかし、考えてみると当たり前のことなんだけど、怒りという名のフィルター一枚入ると思っている以上に本質が見えなくなるんだなぁって思った

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