「彼女ほしー」の証明問題
「彼女ほしー」と叫ぶ自分がいる
そのたびに考えるんだけど、彼女がいない方が都合が良いという回答がでてくる
それは僕が「欲しかったモノを作る」という「理由」を原動力に日々を行動をしていて、彼女という存在はその時間を奪うという意味で邪魔になるからいない方がよい
というように理性を働かせた結論が既に出ているにも関わらず「彼女ほしー」と叫ぶ自分がいる
なんでだ?
人間は本能的に「子孫を残す」という行動のもとに生きており、僕もその本能が出てきているからなのか?とも考えるが、理性が滅茶苦茶強い僕らしくないのでなんでなのか考えてみた
なぜ「彼女ほしー」僕が出てくるのか?
それは、彼女が欲しいわけじゃなく「恋愛」をしたいと考えると腑に落ちる
というのも、「彼女ほしー」のに「彼女」はいらない、そこから彼女を引くと彼女を作るまでのプロセスである「恋愛」だったり「性的行為」が残る
そして「性的行為」は責任が伴う行為で、何か目的があった時にその目的を達成するうえで障害になると考えている
だから、彼女と同じで時間を奪う存在の「性的行為」も除外すると「恋愛」が残る
でも、恋愛も時間を奪う点では同じなんだよな
しかし、「恋愛」が「彼女ほしー」理由だと考えると納得できる部分もある
それは「恋愛」が日々の「気づき」を増やす行為で、僕にとって日常に彩りを与えるものだから
というのも、僕は日記で日々の「気づき」を言語化していて、それはとても楽しい
そして、日記で書く「気づき」を提供してくれる毎日を過ごすことも楽しい
毎日新しい気づきを探し、毎日違った発見があり楽しい
「恋愛」はその楽しい毎日にさらなる「気づき」を提供するもので、楽しい毎日がさらに楽しくなる
だから「彼女ほしー」と叫び続ける僕がいると考えると納得できるんだよね
しかし、「彼女」がいることでも同様な「気づき」は手に入らないか?
ここで重要なのが恋をしている状態下の僕がどのような行動を取るかという僕の知らない一面を知りたいという知的好奇心的な「気づき」の部分がたぶん大きいんだと思う
彼女はカテゴリー分けをすると家族や友人と同じような扱いだと考えていて、家族や友人に接する僕を見ていれば大体の行動は予想がつき、そこには新しい「気づき」は少ないことが「彼女」ではなく「恋愛」が欲しい理由なんだと思う
そして、その「恋愛」をしている状態で得られる「気づき」が時間を奪うというデメリットを上回っているから「彼女ほしー」と叫ぶ僕が消えなかったんだと思う
まとめると、「彼女ほしー」と叫ぶ僕が欲しいのはプロセスである「恋愛」であり、「恋愛」が日常に与える日々の「気づき」が僕が本当に求めているモノなんだと思う
Q.E.D. 証明終了
もっと上手くまとめられた気がするなー
毎日「気づき」があって楽しいも、事前にもう少し詳しく書いておかないと読んでてスッと入ってこない気がする
ただ、「毎日が楽しいです、なぜなら…」って日記を書くことが面白くないんだよなぁ
「僕はあなたたちより楽しい人生を送ってます」みたいなマウントを取るような日記になりかねないし、興味がないし
何か新しい「気づき」があったら書こうと思う
今回の「彼女ほしー」僕が出てきた理由がもう一つある
それは、年齢的な部分も関係していて、年を取ると彼女を作ったり「恋愛」が難しくなると考えている僕がいると思った
たぶんそれは一般論で、多くの人が同じように考えているんだと思う
でも、その「恋愛」ですら年を取ってからでもできるという現実を会社員時代に見てるんだよね
というのも、昔務めていた制作会社での出来事なんだけど
僕の会社の先輩が取引先の会社の女性と付き合ったら、その取引先との副社長から電話があり、その一件が原因で破局したってことがあった
後で聞いたらその女性社員と副社長さんは不倫関係にあって、副社長から「俺の女に手を出すとは何様だ!」ってブチ切れて電話してきたみたい
先輩が神妙な顔して社長に電話渡して社長も神妙な顔して電話応答してたのが印象的だった
ちなみに副社長さんは50代で、女性社員さんは新卒2年目とかだったかな?
そんでその後その会社さんと取引無くなった
で、その時の取引先の副社長さんって女性社員に対して「恋愛」してたんだと思うんだよね
だって、いい年したおっさんが社会的な立場や結婚している事実を忘れて取引先に対して「俺の女に手を出すな」なんて普通言わないもん
恋は盲目とはよく言ったモノだがまさにその現象を近くで見ていたのもあって「恋愛」に年齢って関係ないんだなーって思った
ただし、社会的地位があれば…
そんな感じで、年を取ったら「恋愛」できないよね?って考える僕の幻想を砕く事例があって、「恋愛」すら後でもできるから「彼女ほしー」と叫ぶ理由も無いんだよね
まぁ、多少は僕の本能が叫び続けるんだけど、僕の理性は強つよなんで叫び出しても理性でねじ伏せられるかな
たまに、こういう人間の生存本能的な部分が顔をだして、そういう方向に誘おうとするんだけど、その度に生き物ってだから存続するんだなぁーって生き物の力強さを目の当たりにした気分になる