ストレス発散の優劣
緊張し続けるとその緊張はストレスになり
ストレス発散はその緊張状態を緩和させる行為、緊張する対象から逃げる現実逃避じゃね?
って思ったんだけど、そのストレス発散にも優劣があるのかなぁって思ったので書き出し
ストレス発散の流れ
まず、ストレス発散する流れについて書き出し
1.長期間何かの作業ををすることで緊張状態になる
2.緊張状態が続くことを体が良くないと判断し、ストレスとして警告をかける
例:肌荒れや髪が抜けたり、イライラしたりする
3.警告を受けストレスを感じる対象から距離を取る(ストレス発散)
なんじゃないかなぁって思う
だから、ストレス発散とはストレス発生源から目を背けて逃げる現実逃避と呼んでも間違いではないと思う
そして、僕のストレス発散はゲームや友達との雑談がそれに当たる
ストレス発散の優劣
で、本題のストレス発散方法には優劣があると思ってて
ストレス発散をする時にゲームより友達と会話をする方がストレス発散できる気がするんだよね
仮にどっち選ぶ?って自に問うと「雑談」なんだよね
恐らく雑談というストレス発散には他人がいることが関係しているんだと思う
雑談のメリット
雑談って相手がいて、話しを聞いてもらえることで他人に承認されたような感覚
承認欲求が満たせる点がゲームと違うメリットなんだと思う
「ストレス発散」+「承認欲求が満たせる」ことができるのが雑談で、「ストレス発散」だけのゲームと比べると雑談の方が優秀だよねって話し
だから、僕は雑談を選ぶのかなぁと思う
ストレス発散は根本的な解決にならない
ただ、ストレス発散で現実逃避しても根本の解決にはならないんだよね
だって、ストレス発生源は変わらず存在し続けるんだもん
問題の先送りで根本の解決にはならない
むしろ、逃げたことでその逃げてる時間を使えば多少前進できたなぁと後悔、ストレス発散の現実逃避がストレスを産むという謎の状態になる
これが今の僕
漫画の作業をするとストレスが溜まるけど、そこから逃げたら逃げたで「逃げてる時間作業すれば少しでも前に進めた」ってよく後悔する
ストレス発散しているのにストレスが溜まるという謎状態
結局、ストレス発生源をなんとかしないことにはストレスから逃れる術はないって事なんだと思う
ストレス発散のジレンマやな
逃げれるものと逃げられないもの
とは言え、ストレス発生源から逃げられるタイプと、逃げられないタイプがあるから逃げられるなら逃げるべきだと思う
例えば、会社でパワハラされてるとか、学校でいじめられているとか
会社や学校なんていくらでもあるわけだし、ぶん殴ってさっさと逃げるべきだと思う
僕の場合は、逃げるに逃げれない「逃げる=死」って感じなんだよね
死ぬ理由もないから立ち向かうとストレスが溜まり、ストレス発散で現実逃避しようとしても逃げ先がないから発散できず、結局ストレス発生源の近くにいた方が落ち着くって感じなのかも
だから僕のやることとしてはストレス発散じゃなくて
ストレス発生源を破壊する、ストレス打破とかなのかもしれない
終わりに
書いてて思ったが、ストレス発生源の漫画という概念が実体化したらブチ○すって常々考えてるんだけどさ
それは逃げるに逃げられないことで憎悪を抱き、殺意になってるからそう考えるんだろうけど
日本の殺人事件って半分が家族間みたいなんだよね
僕と同じでストレス発生源と同居し続けると殺人になるっぽいね
殺人を犯す人って今の僕のような心境なんだなぁって思った
そして、そういう殺意を拗らせると殺意というエネルギーを別のエネルギーに変換するのかもしれない
僕は自分で言うのもなんだけど、他人と異なる行動をし続けているわけで、そういう行動のエネルギー源は殺意なのかもしれないって思った
つまり、殺意で動く殺戮のクリエイターが僕です
ちょっと笑った