日記

自問自答

よく、「なんでだろう?」って感じることを自問自答するんだけど、それを言語化できたタイミングで疑問と同時に抱えていたイライラや不安といった感情が噓のように消えるのが不思議だったので書き出してみる

言語化することで客観視できる?

言語化をしたタイミングで僕から離れて、客観的な視点で見れるようになるのかもしれない

よく、仕事なんかでイライラしている時に「なんでイライラしているんだろうか?」と考えて言語化するんだけど
言語化するとイライラしなくなるんだわ
だから、自問自答で言語化する作業はそういった感情を自分から取り除く作業とも言えるのかもしれない

本能がイライラして、理性はイライラしない?

もうちょい考えると、本能と理性というのがあって
イライラするのは本能で、言語化することで理性にイライラを渡すことができる
そして、理性はイライラしないのかもしれない

なんで理性はイライラしない?

理性がイライラしないのは、行動フェーズだからなのかもしれない
イライラを理解して、それに対してどうするか選択を取るフェーズ
耐えるんじゃなくて、それに対して行動を取れるからイライラしないのかも

じゃあ、それで理性が行動しなかったら理性もイライラするのかな?
「なんで行動しないんだ?」ってイライラが理性から本能に戻るだけな気がする

言語化はゴミ掃除?

言語化作業はゴミ掃除に似ている気がした

イライラはゴミで本能で生じる
言語化はごみ処理で理性が行う
言語化というごみ袋で包んじゃえば、そのイライラというゴミは捨てるだけだもんなぁ
面倒くささはあってもイライラはしない
捨てたら捨てたでスッキリするし言い得て妙

理性はイライラしない?←腑に落ちない

理性はイライラしないか?って考えると、理性もイライラするわ
というのも、理性って理想と現実の間のズレを認識すると緊張して、その緊張状態が長期間続くとストレスに昇華する
受験や仕事なんかがそれで、僕もそれでストレス感じてたもんなぁ

だから、理性もイライラはするしストレスは感じる
今回の言語化によるイライラが無くなるのは理性じゃなくて、知性の部分なんじゃないかな?って思った

言語化は知性によるもの?

というのも「知らない、わからない」からイライラしている
言語化できたタイミングで「知った、わかった」わけだからイライラしなくなる
って考えると腑に落ちるんだよね

もし誰かに何か自分にとって良くないことをされて不快になったとしても、その理由がわかると多少は不快じゃなくなるし、その理由が腑に落ちれば完全に不快と感じなくなると思う
「知らない、わからない」から不快に感じてイライラしたり不安になるって考えると納得

イライラするのは自分に対して

そして、イライラって相手に対してじゃなくて、無知な自分に対してイライラしているとも言える気がする
というのも、言語化すると僕のイライラは無くなるけど、イライラ発生源は何一つ変わってないから

発生源は何一つ代わってないのに僕はイライラしなくなる
だから、「知らない、わからない」自分自身に対してイライラしたり、不安になっていると言えるのかなって思う

ストレスのメカニズム

少し前に、ストレス発生するメカニズムについて書いてるんだけどさ
その時は本能と理性の2種類のみが関係していると思ってたんだよね
今回知性が出てきて、ちょっと驚いた

ゴミの例えでまとめるなら
本能→イライラ(ゴミ)
知性→言語化(ゴミの分類、袋詰め)
理性→処理(ゴミ出し)
って感じなのかもしれない

こう書きだすと、知性もゴミの分類の部分でイライラしそうだなぁ
このゴミは燃えるゴミなのか燃えないゴミなのか、どっちなんだい!的な所でイライラしそう

人間ストレス多いいなぁ

書き出してみて、本能、知性、理性でストレスを感じるって考えると人間ストレス多いいなぁって感じる

そして、そのストレスに対してストレス発散という現実逃避の選択肢をとってしまうことで、ストレスというゴミが溜まり続け、現実世界では定期的にごみ処理できる人でも、精神世界ではゴミだらけのゴミ屋敷に住んでいる人が多いいってのが今の社会なのかなぁって思った
心がゴミ屋敷、なんかいい表現ねぇかなぁ…

しかし、ストレスをゴミと称するのは我ながら面白いと思った
現実世界では掃除を全くしない僕なのに、精神世界では毎日掃除してるって考えると笑うわ
おかげで毎日快適に過ごせてます、あざ~す!

最大のストレス発生源

僕にとっての最大のストレス発生源って漫画なんだけど
ずっとストレスというゴミを生成し続けてて減る気がしないんだよね

で今回、知性を発見したことで漫画について「知ろうとしなかった、わかろうとしなかった、理解しようとしなかった」んだろうなぁって思った
嫌いだから、そのゴミ自体に触れるということをしなかったって考えると無限に湧く、常にあり続けるストレスというゴミの存在も腑に落ちる

しかし、そう考えると僕にとっての漫画はどれだけ触りたくないゴミだったのか気になるね
相当くさいゴミなのか、触れることすら耐えられないゴミなのか…
知性による分類すら避けるほどのものだったんだから相当なモノなんだと推測できるわ

ゴミは早いうちに処理しないとより不快になるし、もっとちゃんと向き合う必要性があるんだろうと思った

終わり:自問自答が楽しい理由

今回の日記で、自問自答がなんで楽しいか言語化できた
知性の部分で「知る、わかる」から楽しいんだろうね
そして、それに対して理性が行動を起こすからスッキリする

日記は書いててどんどん楽しくなるのに、漫画は全然楽しくならなくて不思議だったが、そもそもちゃんと向き合えて無かったとは…
反省だなぁ

おまけ:痛みはどこのストレス?

本能、知性、理性それぞれでストレスが発生することがわかったんだけどさ、痛みはどこのストレスなんだろうか?
アニメとかで主人公が拷問されてストレスの結果髪真っ白になってるのを思い出して気になったから書き出し

結論からすると、全部から来ている気がする
痛みは本能的に痛いし、ストレス
痛みを知ったらそれを再び味わう可能性がストレスだし
長期間その痛みに耐える緊張状態はストレス

って感じで、全てから来るストレスなんだと思う
で、そのストレスに対するストレス発散方法は死か、ストレスに向き合い耐性を獲得するかなんだと思う
カネキ君がそうだったし

僕も、もし拷問受けたら痛みと向き合ってみるかなぁー

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