日記

音楽について

最近、僕の当たり前は他人の当たり前ではないって日記を書いてて、そういえば音楽ってなんで生まれたのだろう?って当たり前のように存在する音楽に疑問を投げかけてみたので書き出し

身近な音楽は心音

僕的に音楽というのは、心臓から生まれたのかなぁって思う
というのも、人の最も身近にある音楽が心音だから

そして、心地よいと感じる音楽ってその心音のリズムが関係しているように思う

音楽のリズムで、
ハイテンポであれば、運動している時の心音
スローテンポであれば、落ち着いてる時の心音
そして、通常の時の心音

適度な運動をしている時は気持ちが良いし
リラックスしている時は当然気持ちが良い

その状態の心音に近い音楽を、人は心地よいと感じるのかなぁって思う

逆に、
テンションを上げたいときにスローテンポの音楽は聞かないし
寝る時にハイテンポの音楽って聞かないと思うんだよね

そんな感じで、音楽と心音には少なからず結びつきがあるわけで、心音を元に音楽が生まれたと言ってもあながち間違いではないのかなぁって思った

ノイズはリズム無き音楽

そして、ノイズは乱れたリズムの音楽

話し声とかが代表的だよね
リズムとか無いわけだし

そして、そういうノイズが気になるのも、乱れたリズムを心臓が出してたらそれは病気のサインでさ
それは、危険を知らせるリズムなわけだから、心地が悪いって考えるのも当然なのかなって思う

ちなみに、心音が乱れたリズムの時は不整脈の疑いがあるみたい
ストレスが原因で「心臓の拍動のリズムが一時的に不規則」になったりすることがあるみたいよ
放っておくと心不全とかになったりするみたい、こっわ

デスノートやん!って思ったんだけど、デスノートは心臓麻痺だった…

心不全と心臓麻痺の違いは、徐々に心臓の機能が低下していくか、急激に心臓の機能が低下するって違いがあるみたい

勉強になった

ノイズも集まれば音楽になる

話は戻して、ノイズも集まると1つの音楽になる
その状態になると、ノイズではなく「環境音」や「BGM」と呼ばれる音楽になる

代表的なBGMが「休み時間の教室」だと思う
1つ1つの話し声はノイズだけど、それらが重なって1つの音楽を生んでいるって話

だからか休み時間の教室って結構集中できたんだよね
図書室より集中できて結構好きだった

たぶん、BGM「休み時間の教室」が流れている間って、他にノイズが発生しにくいという安心感があったからだと思う
ノイズが発生してもBGMに吸収されたり、かき消されるわけだしね
後は「お前らが遊んでいる間、僕は勉強して先に進むぜ」的な安心感もあったのかな?性格わるっ

反面、図書室ではシャーペンの音とか本をめくる音とかが響いてノイズが発生したりするからね
下手な静寂より、環境音やBGMで埋め尽くされている方が人は集中できるのかもしれない

そう考えると、渋谷のスクランブル交差点は割と集中できるのかなって思った

終わりに:だから、音楽は国境を超える

音楽が心音から生まれたって考えると、音楽が国境を超えて流行るのも当然なんだと思う
だって、人種が違って見た目が違ったとしても心音は共通のリズムだから

ある意味、音楽は全世界で通用する共通言語と言えるのかもしれない

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