早く帰りたがる僕
やたらと早く帰りたがる僕がいた
で、なんで早く帰りたがるのかを考えた時の日記
早く帰りたがる原因
早く帰りたがるのは、「疲れている」と「居続ける理由がない」ってのが原因だった
疲れている
早く帰りたがる原因の1つが「疲れている」から
精神的な疲労が溜まってたんだと思う
コワーキングスペースには人の目があって緊張する
それで、緊張をし続けて疲れる
だから、緊張がない家に帰りたいって感じたみたい
なので、家に帰って早く寝た
居続ける理由がない
もう1つの理由が、「居続ける理由がない」から
僕は、コワーキングスペースが閉まる時間まで居続けるという習慣を持っている
その閉まるまでの時間で、仕事や考え事をする
けど、仕事が落ち着いててやることが無く、居続ける理由がない
習慣と動機の摩擦が起きていて、僕は早く家に帰りたいって思っていたみたい
気づいたこと
で、気づいたことなんだけど
「疲れている」を解決するまで、「居続ける理由がない」ってことに気づけなかったということに気づいたんだよね
これが、凄い違和感なんだよね
早く帰りたがる僕という1つの問題に対して、2つの原因があった
1つの問題に2つの答えがある感じ?
そして、問題というのは、1本の糸が絡まっている状態を指すのではなく、複数の糸が絡まっている状態を指すのかなぁーって思った
日記っぽい
気になったこと
それで気になったことがあるんだよね
「疲れている」状態を解決するまで、「居続ける理由がない」ってことに気づけなかったことが良くない事だよなぁって気になった
問題というのは絡まった糸で、1本ずつ糸を解くしかない
だから、行動としては正しい
けど、心構えとしては正しくないって言うんかな?
なんか引っかかるんだよね
例えるなら、二兎を追う者は一兎をも得ず、ということわざがある
「二つのことを同時に成し遂げようとしても、結局どちらも失敗に終わるということ。」って意味なんだけどさ
実際に、二兎を追うことと、二兎を捕まえる準備をするのは別だと思うんだよね
準備さえしていれば、二兎を追って二兎を捕まえる可能性が出るけど、準備していなければ可能性は無いわけでさ
1本ずつ糸を解くのが正解だから、他にどんな糸が絡まっているかを見なくていい理由にはならないっていうんかな?
そこが引っかかってるんだよなぁ…(言語化が難しい)
終わりに
言いたいこととしては、たぶん極論
サッカーのワールドカップ決勝というプレッシャーがかかる舞台で延長含めて120分間戦い抜いたPK戦を踏まえた準備をするってレベルの極論
その準備は普段の練習を全力でやり、足が痙攣している状態で決勝のプレッシャーをイメージし、練習することでしか練習できない
難しいことだし、まずは決勝に行かないとだし、必要性が薄い
僕の言いたいことはそういう極論なんだと思う
言い換えるなら、全力で考え事しろ!
ってことなのかもなぁ…
良いことだとは思うんだけど、なんでだ?
なんで急にそういうことを思ったんだろ?
仕事が落ち着いていたり、日記がマンネリ化してんかな?
負荷が物足りなくなって、負荷を上げたいんかな?
ちょっと気になるんだけど、掘り下げるようなモノでもない感覚もある
すげぇ不思議な感覚だわ