他人に言及をすることを避ける
日記書く時に、極力自分に対して言及して他人に言及するのを避ける傾向があるのが気になったので書き出し
他人に言及をしない理由
それは、他人に言及すると人の数だけ答えが存在して、「これが答えだ」と言えないから
だから、自分に対して言及するようにしている
当初から言及をしないように気を付けている
他人に対して言及することは、ブログを立ち上げ当初から気を付けている気がする
言語化までしたのはここ最近なんだけど、昔から他人に言及するようなことを書くとしっくり来ない感じはあった
だから、書かないようにしてたんだけど
なんで、避けたんだろう?
有名人は言わないだろうから気を付けている
元々の目的が原因な気がする
というのも、ブログを作る上でいくつか目的があった
そのうちの1つに「有名人が有名になるまでの過程が描かれたコンテンツが欲しい」という目的があった
どうせ死ぬまで続けるだろうし、どっかでか有名になっちゃうだろうと考えてその目的を設定したんだけどさ
僕の想像する有名人はそういう他人に言及して、貶めるようなことは言わないってイメージがあったのかもしれない
だから、他人に対して言及をしないように気を付けていたんだと思う
正しいか判断がつかないから気を付けている
後は、どのポジションで言及をするかが決まっていないのが言及できない理由な気がする
政治家なんかがわかりやすくて、彼らは自分の支持者のために働く
仮に、支持者に漁業関係者が多ければ漁業関係者に利益があるように動く
それが日本にとって良いことではないとしても、その政治家にとっては正しい
って具合に、僕はどのポジションで発言をするかが決まっていない
だから、正解がわからず言及できないってのがあるのかも
言及をすると不幸せな人が増えるから気を付けている
とは言え、幸せな人が増えた方が世の中良くなるって考えていて、そのポジションは僕にとっては正解だと思っている
そう考えると、僕はポジションを取っていると言える
けど、そのポジションであれば他人に言及するべきではないって話なのかもしれない
というのも、言及をしてその人が腑に落ちたらその人は動かないといけないわけで、それは面倒くさい
悪いものは直したほうがいい、けど面倒くさいという葛藤を抱えて生きないといけないのは不幸なんじゃないか?
他人に言及をして変えようとする行為自体が僕のポジション的には不正解なのかもしれない
だから、言及しないって考えることもできるなぁ
面倒くさいから気を付けている
けど、他人に言及をしないことで不幸な人が増えるって面もある気がする
例えば、僕は「かわいい」って表現を異性に対して極力使うべきではないと考えている
その代わりに、「料理が上手い」とかスキルを褒めるべきだと考えている
それは、「かわいい」は年を取ったら無くなる状態異常だけど、「料理が上手い」というスキルは年を取っても残るモノだから
なので、一時的な状態異常を褒めるべきじゃなくて、スキルを褒めた方が「将来的に不幸せな人が生まれない」んじゃないか?って思い、それは僕の取っているポジション的には正しいから言うべきだと思う
けど、こういうことを言うと「いや、そうじゃない」って視点で見る人もいるわけで衝突が起きる
この衝突が僕にとっては面倒なのかもしれない
だから、言及をしないのかもね
まとめ
僕が他人に言及をすることを日記に書かないのは、人の数だけ答えがあって明確な答えが導き出せないから
そして、言及をしたことで意見が対立した時が面倒くさいから
対立を面倒くさいと感じている点を見ると、僕は人の話を聞くのが嫌なのかもしれない
終わりに
とは言え、他人の話を聞かずに言い逃げをして、後は周りの人がやいやい言い合ってくれればいい、という考え方もできる気がするなぁ
「幸せな人が増えた方がいい」って考え方は決して間違った考えではないはずだし
一石を投じて、後は知らぬが存ぜぬって態度でいるのも良いと思う
けど、そういうことが起きることを避けている面もある気がする
たぶん、僕の人生において「幸せな人が増えようがどうでもいい」ってことなんだと思う
社会的には増えた方がいいけど、主観的には僕の邪魔をされたくない、って話なのかな?
だから、対立とか面倒くさいって感じて、その対立が生まれる「他人への言及」は避けているって考えると腑に落ちる
実際、僕の人生においてあっても無くても困らないモノだし、必要だったら面倒くさいって感じながらもう既にやっている
ただ、お金を稼ごうと思うとそういう対立とかが起きるのって重要な気もする
けど、しないってことはお金を稼ぐのも何かこだわりがあるんだろうね
あ、いや、必要がないからか…
とりあえず、お終い
今回も4回くらいのリライトでリリース出来た
もうちょい、短くまとめられたけど、短すぎるのもあれだからって感じで広げ過ぎた