日記

やる気が起きない

久しぶりの休みを満喫していて気になったので書き出し

久しぶりの休み

メインで仕事を貰っていた企業さんと契約満了したので、暇になったからブログのカスタマイズやっているんだけどさ
やる気が起きないのよね

それは、仕事のような強制力が無いからで、前から分かっていたことなんだけどさ
今回、その原因がわかったから書いてみる

やる気が無い時は遠くを見ている

やる気が無い時って、遠くを見ている気がするんだよね
例えば、勉強とか仕事
テストや納期まで余裕があるとさ、やる気が起きないんだよね
やる気が起きない時って、そういう遠くを見ていることが多いい気がするんだよね

ブログのカスタマイズも同じでさ
遠くにある漠然としたカスタマイズ後のイメージを見ている感じがあるんだわ
漫画でもやる気が起きなくて「どうしたら僕に漫画を描かせられるんだろう?」って自問自答していたけど、理想という遠くを見ていた

という感じで、やる気が起き無い時って遠くを見ているからやる気が起きないんじゃないか?って思った

やる気がある時は目の前を見ている

逆に、やる気がある時って、目の前を見ている気がするんだよね
例えば、目の前の問題集や目の前の仕事
目の前を見ている時はやる気があって、遠くを見ている時はやる気がない
そういう共通点があると思う

わざとやる気を出さない

で、何が言いたいかって言うと、やる気が出ないんじゃなくて、わざとやる気を出さないようにしているんじゃないかな?

というのも、遠くに「テストや納期」があるとしても、目の前には「問題集や仕事」というやるべき物事はずっとあるんだよね
なぜ、目の前のやるべき物事を見ないで遠くを見るの?って考えると、「面倒くさい」からでさ
やる気が出ないじゃなくて、面倒くさいから出したくないって話な気がするんだよね

実際、僕のブログのカスタマイズなんかも色々とやることが多くて、面倒くさいって感じているんだよね
その面倒くさいことに向き合うのが嫌だから、わざと遠くにある漠然としたイメージを見て、目を反らしていたのかなーって思った

まとめ

まとめると、やる気が起きないのは遠くを見ていて、目の前のやるべきことから目を逸らしているから
そして、目を逸らすのは面倒くさいから
やる気が起きないのは、やるべきことを見ていないのだから当然なんだと思う

やるべきことに目を向けてみた

で、遠くを見ないで目の前のやるべきことを見るようにしてみた
そしたら、やる気がないという状態はなくなって、普通に作業ができるようになった
けど、「やる気がある」という感覚はないわ
なんというか、やるのが当たり前で「ただ、作業をする」って感覚なんだよね
だから、「やる気がある」って言葉は全然しっくりこない

それで思ったが、「やる気が起きない」という言葉は「面倒くさい」の言い換えで、やる気という存在しないモノのせいにする言い訳なんだなぁーって思った
これは、僕は悪くないやる気が悪いんだって自己を正当化するために必要なのかもね

終わりに

この日記から「嫌だシリーズ」としてしばらく「嫌だ」を深ぼって見ようかなぁって考えている
その第一弾として描いたんだけど、結構的を射ているんじゃないかな?

これも、結構前からの悩みだったんだよね
仕事があると趣味の作業を仕事を始める時間までに終わらせないといけないから目の前のするべきことに集中できたんだけど
仕事がないと、遠くの「この時間までに作業をすればいい」という時間を見ちゃって、目の前のすべき作業に目を向けられなくて捗らないから困ってた
けど、今回の日記で原因が言語化できたから、今後はやる気が起きないって現象は起きないのかなぁって思う

あと、やる気が起きないって言い換えると、問題の先送りなんだよね
けど、未来の自分って今の僕なわけでさ
面倒くさいからって未来の僕に託した所で、未来の僕も面倒くさいから更に未来の僕に任せる気がしていて、問題が深刻な状態になるまで放置するから「やる気が起きないからやらない」ってのは無意味な行為な気がした
今回のブログは正にそれな気がするわ
この考えも、遠くじゃなくて目の前のすべき作業を見る後押しになったかも

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