日記

流れ

何かやりたくないことを続けられている時の流れが気になったので書き出し

流れがあるんじゃないか?って思った

休日以外で漫画の作業をしているんだけどさ
休日の1日休んだら、週明け月曜日にやりたくないって感じたんだよね
けど、日を空けずに作業をしている時はやりたくないってあまり感じないんだよね
だから、何か流れみたいなモノがあって、流れがあるとやりたくないこともできるようになって、流れが途切れるとやりたくないことが出来なくなるんじゃね?って思った

流れが切れるとやりたくないって感じる理由

まず、なぜ1日空けたことでやりたくないって感じたのか?
それは、1日空いたことで冷静になっているからな気がする
というのも、そもそも漫画描くの嫌いなんだよね
1日空いたことで、その事実に気づいてしまったからやりたくないって感じたんだと思う
つまり、流れが切れると素面に戻っちゃうんだと思う

流れがあるとやりたくないことに気づかない?

じゃあ、1日空けるまでなぜ漫画の作業をし続けられたのか?

それは、嫌いという事実が見えなくなっていたからだと思う
というか、近すぎて見えなくなっているのが近いのかもしれない
仕事も週明けって行きたくなくなるらしいけど、仕事が始まっちゃえばなんやかんやで作業するじゃん?
そういう、流れに乗ると近すぎて「やりたくない」が見えなくなっている気がする
ある種、酩酊状態とでも言うのかな?

まとめ:流れとは「考えない」状態

そう考えると、流れが「やりたくない」ことをやらせているのは正しい気がする

漫画の流れに乗っていたら、嫌いな漫画が見えなくなるし
仕事の流れに乗っていたら、嫌いな仕事が見えなくなる

言い換えるなら流れに乗っている時は「考えない」状態なんだと思う
「するしない」という選択が無くて、常に「する」という形で選択の処理を省く
でも、休みなどで「しない」って処理が中断すると、再度設定が必要
それが、休日空けに「やりたくない」という形で起きている

そう考えると、納得かな

おまけ:週末の疲労

週末に向かうに連れて疲れていく感覚があるんだけどさ
今回書いた流れが影響しているのかなぁって思った
というのも、バックグラウンドで僕の知らないタスクが動いているんじゃね?
週明けになるとさ、何かの「するしない」って選択があって、僕は無意識に「する」を選んでいて、それが動いていることでメモリ(脳)が圧迫されて、処理が重くなり週末に向かって疲労が溜まって行くって話

そう考えると、仕事がないのに疲れる理由に説明がつくんだよね
ちょうど最近、Dockerをオフにしたと思ってたけど、バックグラウンドで動いててパソコンが熱くなってたりしてたから、僕の知らない何かが動いている可能性はあると思う
どっかでかタスクマネージャー開いて確認しないとだわ

終わりに

んー今回の日記も中々まとめづらかったんだけどさ、その原因が同じ意味を持つ単語が複数出てくるのが問題の一因になっている気がする
あとは、今回の内容と似たような日記を「嫌だシリーズ」として書いてて、視点が微妙に違うけど所々掠ってんだよね
それによる書きづらさがあるわ
例えるなら、既に複数人が掘りきった鉱山を掘り進めている感じ?
そこで新しい気づきというダイヤモンドが出てきても、それは他の人の掘り残した残骸で、いまいち喜ぶに喜びづらい感覚がある

でも、「するしない」って選択が「やりたくない」を生んでいるってのは新鮮さがあった
というのも、人生において「やりたくない」って感じる時ってほぼ必ず「するしない」の選択があるわけで、そこを抑えたり「やりたくない」って思わなくなればストレスとか無くなると思うんだよね
つか、不安もなくなる気がする
この辺は別で考えるかなぁ

とは言え、同じような日記を書いているのは結構メンタルにダメージが来るわ
頭がこんがらがってくる感じがある
一度、別の日記でも書くかなぁ

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