数年ぶりに都会(大宮)に行ってみた
コロナ禍もあり、人が集まる場所に行かなかった。また、都会嫌いもあってより行かなくなってたのだが、久しぶりに大宮に行って「都会っていいなぁ…」と感じた。なぜそう感じたのか気になったので書き出してみる。
都会が嫌いな理由
僕が都会を嫌いな理由としては、人混みが嫌いなのと、魅力的だから嫌い。
まず、人混みが嫌いはわかりやすい。都会で何かをしようとすると「待つ」という行動が必要になる。お店に入ってもそうだし、バスや電車でも待つ。全ての行動を周りに合わせないといけないという理由から嫌い。
次に、都会は魅力的だから嫌い。都会には最新のお店やサービスがあったりする。また、多種多様な人がそこにはいて「魅力」がある。もし、彼氏彼女を作ろうとすると都会の方が作りやすいだろう。しかし、それらは時間を奪い、何か目的を持って行動する時に障害になる。
僕は、欲しかったモノを作るという目的を持っていて、それを達成する上で「待つ」や「魅力」がある都会は都合が悪い。だから嫌いだった。
都会っていいなぁと感じた
そんな都会が嫌いな僕だったが、久しぶりに都会に行って良いと感じた。それは、僕の買いたい服のメーカーが大宮にあるからだ。僕は大宮に行くたびに服を買う。その服屋は埼玉だと大宮にしかない。そのため、買いたいとなると大宮に行く必要がある。そういう欲しいものが生活圏内にあるという意味で都会は良いなと感じた。
また、服が欲しかった理由も周りの人を気にしてのことだ。今までは周りのことを気にせずに目的のために生きていた。しかし、今年に入ってその目的を達成するための下準備ができたことで心に余裕ができた。その結果、人間が生きる目的である「子孫を残す」という本能が顔をだしたんだと思う。その本能としては都会であれば出会いも多いいだろうし、自分を着飾るという意味では魅力的な服屋も多く都合がいい。だから「都会っていいなぁ…」と感じたんだと思う。
目的によって変わる見え方
今までの僕にとっては、都会は間違いなく不都合でネガティブな印象を持つ環境だった。しかし、余裕ができたことで「子孫を残す」という人間本来の目的で見ることができるようになったためポジティブに映るようになった。
それは、目的の優先順位の変化によってもたらされたもので、何を目的にして、どの目的が優先順位が高いかで物事の見え方が変わってくる部分がある事を知った。
若い人が都会に集まるのも、そういう人間としての目的を達成する上で有利だからで、地元に残るのは他に目的があり、無意識に都会を不都合だと考えるからなのかもしれない。
終わりに
余裕が出てきたが欲しかったモノを作るという目的を達成する上で、彼女を作ったり出会いを求めるのは時間的に足りない。なので、都会に行こうとは全く思わないが、久しぶりの大宮は普段と異なる見え方だったのは新鮮だった。