人の目があると集中ができて、人の目がないと集中できない理由
勉強や仕事などを自宅で作業しようと思うと集中できないから、人の目があるような図書館などの公共施設やコワーキングスペースに行って作業をする。なぜ、人の目がないと集中できないのかが気になったので書き出し。
理由がないから集中できない
自宅で集中できないのは、理由が無いからなのかなぁって思う。というのも、人間は理由なしに行動ができない。眠いから寝るし、腹減ったから食べる。そういう何か行動をするためには理由が必要。
で、受験とか納期が迫っているとそれが理由になるから自宅でも集中できる。自宅で集中できないのはそういった理由がないからで、理由さえあれば自宅でも集中できるんだと思う。
じゃあ、図書館やコワーキングスペースで集中できるのは何故なのか?どういった理由がそこにはあって集中できるのかを考えてみる。
人の目があると集中ができる理由
図書館やコワーキングスペースなど人の目がある環境で集中できる理由は、「ストレス」があるからなんじゃないかって思う。
というのも、人に見られると緊張してストレスを感じる。特に不特定多数の人が訪れる環境であれば尚更。また、集中する時には必ずと言っていいくらいストレスがあるように思う。例えば、テストや受験、部活の顧問や会社の上司、発表会での観客。そういう何かに集中する時にはストレスが必ずある気がする。
なので、図書館やコワーキングスペースで作業をする時に集中できるのも、ストレスがあるからで、自宅のような人の目がないと集中できないのはストレスが無いからとも言えるのかなぁって思う。
なぜ、ストレスを感じる集中できるのか?
じゃあ、なんでストレスを感じると集中できるのか?
それは、生存本能が関係しているんじゃないかと思う。というのも、生き物は生命に危機が迫っていると生存本能が働いてその危機に集中するわけなんだけど、知らない人に見られる、他の生き物の視線を感じると無意識にその生存本能が働いてるんじゃないかと思う。そして、危機に集中するために緊張状態になって、その状態が続くことでストレスを感じる。
これが、集中する時にストレスを感じる理由なんだと思う。けど、実際に集中しているのは目の前の勉強や仕事などの作業であって、敵(危機)である知らない人に集中していない。生存本能が働いているはずなのに集中している先が異なる。なぜか?
それは、生存本能が働いているけど、本当に襲ってくるわけがないと理解しているからなんだと思う。というのも、図書館やコワーキングスペースには人がいるから普通に考えて襲われない。更に、女じゃなくて僕は男だから襲う理由がないって理解している。そして、人に見られ続けると緊張してストレスを感じるから、その緊張を解くために何か別の事に集中しようとして目の前の勉強や仕事などの作業に集中する。
これが、人の目がある環境での集中のメカニズムなんじゃないかと思う。
2つの生存本能を利用
しかし、目の前の作業に集中できる理由としては不十分な気がする。なぜなら、人の目で緊張しストレスを感じるのはわかるが、なぜやりたくもない勉強や仕事に集中できるのかの説明としては不十分だから。人の視線を感じてストレスを感じた時、ストレス発散として普通ならゲームやネットサーフィンのようなモノに集中する気がする。なぜ、やりたくもない事に集中することができるのか?
それは、2つの生存本能が働いていると考えると説明ができるように思う。
というのも、まずは人の目を使って1度目の生存本能を呼び起こし目の前の作業に集中する。しかし、目の前にスマホがあるならネットサーフィンやスマホゲームの方が集中しやすい。けど、図書館やコワーキングスペースなどの環境でスマホを弄るのは不適切で、場合によっては追い出される可能性がある。この時に2つ目の生存本能として、集団から追い出されることで生命に危機が迫っていると錯覚し、2度目の生存本能が働く。その生存本能が「その環境において正しい」と考えられる「勉強や仕事」に集中するように集中先をコントロールしている。と言った具合に、2度生存本能が働いているからやりたくないことに集中させることができているんだと思う。
つまり、1つ目の生存本能で目の前に集中させて、2つ目の生存本能で集中する対象(向き)を決めている。だから、人の目がある図書館やコワーキングスペースなら集中できるけど、人の目が無い図書館やコワーキングスペースだと目の前に集中することはできても勉強や仕事ではなくネットサーフィンとかをして、集中したいものに集中できないと考えると腑に落ちる。
ストレスを感じている時=生存本能が働いている
上に書いた推測は、言い換えると強いストレスを使って弱いストレスの行動をさせているとも言えるのかなぁって思った。というのも、勉強や仕事はストレスを感じるから極力やりたくない。けど、知らない人の目とか環境から追い出される方がストレスを感じる。そういう強いストレスを使って、やりたくない、やる気が起きないような弱いストレスの行動をやらせているんじゃないかな?
だとすると、人の目や環境から追い出されることにストレスを感じずらい人は、図書館やコワーキングスペースでも勉強や仕事には集中できないんだと思う。だって、勉強や仕事の方が強いストレスだから。(コワーキングスペースでずっとスマホ弄っている人がいて不思議だった)
とは言え、人がストレスを感じる時、全てで生存本能が働いて生命に危機が迫っていると錯覚している気がするんだよね。勉強や仕事もしないと将来的な生存確率が下がる(不安を感じる)わけだし。だから、強く危機を感じているか、そこまで危機を感じていないって問題で、ストレスを感じる時人は生命に危機が迫っていると錯覚して生存本能が働いていると思う。
つまり、何か自分にさせたい行動がある時は、如何に生存本能が働くような状況を作るかって話で、生命に危機が迫っていると錯覚しやすい人ほど集中しやすい。言い換えるなら、臆病者ほど集中力があるのかもしれない。(僕がそうだし…)
まぁ、これはネガティブな集中力で、勉強や仕事が得意、ゲームなどのポジティブな集中力が使えるのであれば、わざわざ危機的状況を作る必要がないんだと思う。そして、そういう人達は家でも集中できるから図書館やコワーキングスペースに行く必要性がそもそもないだろうね。だから、コワーキングスペースに人が少ないんだって納得。
終わりに
僕はほぼ毎日コワーキングスペースに行くわけなんだけどさ、毎日行っている環境で生存本能が毎回働いているっておかしい話だと思うんだよね。だって、毎日行っていたら慣れるもん。じゃあ、なんで生存本能が毎回働いているかって考えると、僕の行動が原因なんだと思う。
というのも、僕は何年もコワーキングスペースを使っているけどコワーキングスペースにいる人のことをほとんど知らないんだよね。コミュニケーションを全く取らないから僕からするとみんな知らない人なんだわ。なので、知らない人からの視線って怖いを毎日味わっている。だから、目の前に集中出来ているんだと思う。
ちなみに、コミュニケーションを取らない理由は、作業を邪魔されたくないから。仲良くなるとコミュニケーションを取ったりすると思うんだけど、それができるほどの時間がない。だから取らない。そして、僕はこういう日々の気づきを書くのが楽しいんだけどさ、文字打つ都合上タイピング音を周りの人はうるさいって感じていると思うんだよね。僕も他人のタイピングうるさいって感じるし。なので、僕に対するヘイトが利用者の中で溜まっていると僕は考えていてさ。最悪刺されるんじゃないか?って感じで、生存本能が毎日働いているからずっと集中して作業ができているんだと思う。
そういう感じで、計らずとも僕にとってコワーキングスペースって超集中できる環境になってる感じ。あまり良い集中方法じゃないんだけどね。嫌いなことややりたくないことに集中させようと思うと、人と環境を利用する必要があるんだなぁって気づいて、書いてて面白かった。(凄いまとめるのが大変だったけど…)