「頭が悪い」と「馬鹿」の違い
「頭が悪い」は自分自身の「脳の処理能力」を指し、「馬鹿」は自分自身の「脳のリソースの配分」を指す。
頭が悪いと馬鹿について
「頭が悪い」と「馬鹿」は同じように他人を貶める時に使われるネガティブな表現だが、厳密に考えると「頭が悪い」は「自身の脳の処理能力が低い」ことを指し、「馬鹿」は「自身の脳のリソースの配分量が少ない」状態を指すように思う。
頭が悪いは恒久的な状態、馬鹿は一時的な状態
例えば、学校で「来週テストをします」と先生が言ったとする。その後、勉強をして悪い点数を取るのが「頭が悪い」で、勉強をしない選択を取るのが「馬鹿」という。なぜなら、「脳のリソースの配分量が少ない」ため勉強をしないという選択をする事と「脳の処理能力が低い」ため悪い点数を取る事は別の話だからだ。
もし、勉強をしないという選択を取った「馬鹿」が勉強をした場合、良い点数を取る可能性もあるわけで、その場合は「頭が良い」人が勉強に対してリソースを割かなかった(考えなかった)だけで、「頭が悪い」ではなく「頭が良い」人が「馬鹿」になっていたということになる。
なので、「頭が悪い」はその人自身の恒久的な「脳の処理能力が低い」事を貶める言葉で、「馬鹿」は一時的に「脳のリソースの配分量が少ない」状態を貶める言葉だ。
馬鹿は誰でもなるし、治る
馬鹿という言葉は「頭が悪い」人に使われがちだが、「頭が良い」人にも使われる。なぜなら、馬鹿とは「脳のリソース配分量が少ない」状態で、人の割ける脳のリソースの総量は限界があるからだ。
例えば、仕事は優秀だが子育てに無関心な男性は多いい。そのような状態の時、子育てに対して「馬鹿」になっていると言える。なぜなら、仕事に脳のリソースを割いて子育てに脳のリソースを割いてないからだ。
このように、頭の良い人も「馬鹿」になるが頭の悪い人と比べると脳のリソースの総量が多いいため、比較的馬鹿にはなりにくいのが頭の良い人である。そして、「馬鹿」は一時的にリソースの配分量が少ない状態なためリソースの配分量を増やすことで治すことができる。しかし、リソースを再配分し増やすには離婚危機などの理由が必要だ。
→理由なしに人は動かない(近日公開)
頭が悪いことに良いことは無い
最後に、頭が悪いことで良いことは無いのではないかと考える。それについては、推測の域を出ないので日記の方で書いているので下記にリンクを貼っておく。