日記

妄想することがある

ブログを更新していてたまに妄想をすることがある
それは、有名人になってインタビューに答えていたり、お金持ちになっている妄想(有名人=お金持ち)
だけど、僕は有名にはなりたくないと考えている
なぜなら、僕は「欲しかった物」を作ることを第一に行動をしていて、有名になることで得られる知名度やお金といった物はその「欲しかった物」を作る上で不必要だから

それなのになぜ有名になる妄想をするのか?
それは、8割の親を楽させたいという気持ちと2割の仕事が怠いという考えから来ているのだと思う
まず、なぜ親を楽させたいのか?
それは、親孝行ができるのは親が元気なうちだと考えているから
人は年を取る生き物で、僕には腰の曲がったおばあちゃんがいるがやはり年を取ると遠出が難しくなる
だから、元気な内に楽をさせたいという考えがある
さらに、僕の父親は筋肉が収縮していく病気で、最終的に動けなくなることをお医者さんに伝えられている
そういったタイムリミットが刻々と迫っているという焦燥感から有名になりお金持ちになる妄想するんだと思う

次に仕事、
仕事はいろいろな人が絡み自分のペースでできず、仕事に追われている感覚、焦燥感があることでそういった妄想をするのだと思う

要するに、何かに追われ、焦り弱るとそういった妄想をするのだと思う

しかし今現在、親孝行をしようと思えばできる
なぜしないのか?
それは、自分の生活のリズム、ルーティンを崩したくないから
もし、親孝行をしようと思うと
お金は必要なので仕事を増やし、親孝行の時間も確保するとこのブログの更新頻度を下げざる負えない

上述した通り、僕は「欲しかった物」を作ることを第一に考え行動している
このブログもそれを作るうえで重要で、僕にとってのこのブログは息をする行為に等しく、ブログの更新頻度を下げるということは息をする頻度を下げることと同義でそんなに軽いものじゃない
「親孝行」と「ブログの更新」を天秤にかけた時、どちらも僕にとっては重いものなのだ

だから、もしこのブログが有名になれば「仕事」の代わりに「親孝行」と「ブログ」の更新をすれば良い
ということから、有名になりお金持ちになるような妄想をするのだと思う

じゃあ、ブログでお金を稼げるように努力をすればいいのでは?
この考えも一時期考え、行動をしてみたが続かなかった

なぜ、続かなかったのか?
それはブログでお金を稼ぐ理由が弱かったから
というのも、僕がブログを始めた理由は僕のためであり他人のためではない
お金というのは他人のために自分の時間を割き、その対価としてもらえるもので、お金を稼ぐために費やした時間はお金で取り戻すことはできない
「お金=時間」ではなく「お金<=時間」なのだから価値として釣り合わず、お金を稼ぐ理由も特になかったため続かなかった

そして、お金を稼ぐと「後でもできること」に対して欲をかき、「今じゃないとできないこと」が疎かになる可能性がある

これは以前も書いたのだが、僕はお金があったら今の中古20万円で高速に乗ったら風圧でバラバラに吹き飛ぶんじゃないかという車から流石に乗り換える、そして新車を買うと思う
そして、普段は作業場所への通勤と買い物くらいでしか車を使わない
しかし、せっかく買った新車をそれだけに使うのは勿体ないと感じ、ドライブをしだすと思う
今までの日常生活に無かった「ドライブ」という「後でもできること」が日々の生活に入って「今しかできないこと」の時間が減ることを懸念している

さらに、お金があると「苦労」をすることができなくなると考えている
僕は「苦労」という行為は若いうちが最も行いやすい「今しかできないこと」と考えている
それは年齢を重ねると体力の低下が間違いなくあり苦労がしづらくなるのと、若いうちは苦労をするのが当たり前という風潮があるため苦労という行動を取りやすいため
なぜ苦労をした方がいいのかは、ゲームで例えるとイージーモードでゲームをするよりハードモードの方が楽しい、やりがいがある方が面白いということで説明がつくと考えている
そして、僕の書く日記にとって苦労というのはネタの宝庫で今が最も行いやすい時期なのだから手放したくない

そういった理由で、お金があることで「今しかできないこと」ができなくなる可能性があり、「お金は後でも稼げる、今しかできないことがあるのだからそっちを優先した方が良い」と考え
結果、ブログでお金を稼ぐ理由が無くなり途中で辞めてしまった

そんな感じで、「親孝行」「ブログの更新」「今しかできないこと」という譲れないものがせめぎ合い、有名になってお金が欲しいと妄想するがお金があることで欲をかき、今のやりがいのある生活が崩れる可能性があり葛藤している

しかし、親孝行は必ずしもお金を使ってどこかに連れていくことだけじゃないと思う
というのも、僕の場合は親を「父親・母親」としか見ておらず、どういう子供時代だったのか?どういうことが好きなのか?みたいな一人の人間として親に接する機会がなかった(父親は無口で怖く、母親はお喋りで会話にならない)
だから、一人の人間として親に接することでも十分な親孝行なのだと思う

ちょうどつい先日そう考えさせることがあった
おばあちゃんの家にホワイトデーのお返しを届けに行ったとき、おばあちゃんの子供時代などを聞いてきたのだが、戦時中に生まれだいぶ苦労したことを聞くことができた
その時、僕はおばあちゃんをおばあちゃんとしか見ておらず、一人の人間として見ていなかったとに衝撃を受けた

だから、僕が知らない母親や父親と触れ合うことから始めて、その情報を聞いた上でお金を使う親孝行を考えた方がいいのだと思う
そう考えると、有名になったり、お金持ちになる妄想をする必要性はない
だって、お金が重要じゃないとわかったわけだし
でも、仕事とかをしているとそういう妄想をしてしまうこともあるわけで、焦燥感や弱っている時というよりかはストレスを抱えると妄想という行為に走るのかもしれない
次に妄想したらストレスが原因なのか検証してみようと思う

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