努力と才能3か4
前に努力とは初級編があって、中級編や上級編があるんじゃないかって書いてたんだけど
初級編というか1つしかないことに気づいたので書き出し
努力とは自分自身を「自走させる」こと
前に考えてた初級編とは、物事を楽しむことで
中級編とは、それを更に楽しくするなどの改良することではないか?と予想していた
けど、努力とは目的地に向かって自分自身を「自走させる」継続力を身に着ける事が本質で
楽しむ方法はその「自走させる」方法の1つの手段に過ぎないんだと思う
だから、初級編や中級編のように段階的に分かれているのではなく
努力とは目的地に向かって自分自身を「自走させる」ことのみを指すんだと思う
そして、自走することができれば、後は走ってればいつかは目的地にたどり着くよね?って話で
時間の制限があるような物事を除き、基本的に努力だけで大体の目的地にはたどり着けるんだと思う
問題解決能力は「自走させる」ための1つの手段
もう一つ、努力とは「問題解決することでは?」って考えてたんだけど、それも「自走させる」ための手段の1つなんだと思う
というのも、走ってるとどこかで躓いたり、問題にぶち当たったりする
その時に、「どうすれば問題解決できるか?どうすれば走り続けられるか?」と考えるわけで、そういうことから問題解決も「自走させる」ための1つの手段なんだと思う
まとめると、努力とは目的地に向かって自分自身を「自走させる」ために頑張る事を指し、楽しんだり、問題解決する行動は自走し続けるための手段
「どうすれば自分自身を目的地に向かい動かすことができるのか?」を考え行動することが努力なんだと思う
これ、正解じゃねぇかな?
言い回しで引っかかる部分はあるけど、言っている内容としては間違いないように感じる
才能とは
そんで、次に才能について
今まで僕は、才能とは人より優れた何かを持っていて、その結果その物事を「好き」になることを才能と定義していた
それは、正しいと思うが
今回はよりピッタリな表現を見つけた
それは、
才能とは「制限時間内で物事を達成する」ための能力
なんだと思う
というのも、時間をかければ誰でも東大に合格できるし
肉体が衰えなければ、誰でもスポーツ選手になれると思うんだよね
ただ、現実には制限時間があって
東大に合格するために勉強し続けるのも精神的な制限時間があるし
スポーツ選手を目指すにも肉体的な制限時間がある
その制限時間内に目的地にたどり着くためには何か人より優れた才能が必要で、それがないと制限時間内にたどり着くのは不可能なんだと思う
そして、ズルいことに才能は努力させるための「理由(きっかけ)」を持っている
それは最初に言った「好き」という感情で、「好き」だから努力ができる
逆に、才能がない人は目的地に向かう「理由(きっかけ)」がない、または弱いから努力できない
そう考えると、才能があるから努力できるし、才能がないから努力ができないと言えるんだと思う
不平等
努力と才能のまとめ
努力は自分自身を「自走させる」ことで
才能は「制限時間内で物事を達成する」ための能力
そして、才能があるから努力ができて、才能がないから努力ができない
なぜなら、努力する「理由」がないから
これが、僕の中でいまのところしっくりくる努力と才能なんだと思う
ただ、才能が無くても努力自体は可能だと考えている
それは、逃げるに逃げられない環境に自分自身を追い込むこと
例えば、勉強をしないと死ぬような環境に自分自身を追い込むことで、自分自身を「自走させる(努力させる)」ことは可能だと思う
しかし、そこには多くのストレスがあり、そのストレスが努力することを難しくする
ということから、才能無しに人は努力ができないのは当然なんだと思う
もし、才能がないのに努力できる人がいるのであれば
そいつは、才能がない人間を装っている詐欺師か、人間を装う人間じゃないやつのどちらかなんだと思う
感想
数年前に努力と才能について書いたなーって思って日記を検索したら、3か月前にも書いてて笑った
笑った理由は、前回書いた体感時間のずれを感じた時よりもっと短い期間だったから
努力と才能について考えた日記こそ1年近く前だと思ってんだよなぁ
で、今回の日記でようやっと「努力と才能について」ある程度結論がでたかな
ただ、「自走」という表現がちょっと引っかかった
というのも、大事なのは続けることで、走ることじゃない
歩いててもいつかはたどり着くわけだから「自走させる」ことじゃなくて「継続させる」という表現でも良い気がするんだわ
で、なんで「自走」という表現を使っているかを考えると、努力と才能について考えるときに「車」を例に挙げることが多いいのと「エンジンをかける(動き出す、走り出す)」ことが努力において最も重要だと考えているからなんだと思う
「継続」は走っている期間を指すけど、「自走」という表現は動作を指しているニュアンスがあるから
敢えて「自走」という表現を使っていると納得いくかな
まとめると、努力において「継続」するのも大事だが、「一番重要なのは走り始めやエンジンをかけるところだぞ!」ということを無意識に考えての言葉のチョイスだったんだと思う