日記

日記s

たまに、日記のネタがたくさん出てくることがある
それらの日記を1つの日記にまとめたら何か起きないかなーって思った

日記1、昨日できなかったことができるようになっている

日記のネタで「良いネタを思いついた!」と書いた翌日
改めてそのネタを読むと昨日感じたほどの良いネタじゃないことがある
この感覚が不思議だった

それは、視点が違うのかもしれない
昨日はネタを発見をすることが目的の視点で
翌日はそれを清書することが目的の視点

ダイヤモンドの原石を発掘することが目的と、その原石を切削・研磨するのだと目的が違うわけだからそういう視点のずれがギャップを生んでいるのかなと思う

日記2、文章はまとめて書いた方が読みやすい

昔の日記を読み返してて、文書が読みづらい印象を受けたんだよね
それは今のように見出しが無く、文章をどこからどこまで読めばいいのかわからなかったり
1行2行の文章が散見していて文章が間延びしまとまりがなく読みづらかった

でも、当時はそれが読みやすいと思って書いてたんだよね
それが不思議なんだわ

で、思ったのだが
当時は、読みづらさと向き合うことができなかったんだと思う
それと向き合うとそれを改善しないといけず、それがしんどかった
だから無視をしていたと考えると腑に落ちる

そして、気づいた今は既に見出しなどある程度まとまりを意識してて
容易にそれと向き合うことができるからその事実に気づけたんだと思う

今思い返すと、読み返す行為から目を背けていた気がする
いつもパソコンの前にいて、読み返そうと思えばいつでも読み返せる環境にいたわけだし
向き合い、改善をするのが面倒くさいから敢えて目を背けていたんだろうね
そういう違和感を感じたら少し立ち止まって考えるのありなんだと思う

日記3、日記に対してかける時間

日記に対してかける時間が多いい気がする
毎日2~3時間くらい日記で考え事とかをするんだけど、
上手くまとまらないと4~5時間くらいやっていることがある
流石に時間をかけ過ぎと感じる

なぜ、かけ過ぎなのか?
もっと別の物事に時間をかけた方がいいと考えているからなんだと思う
でも、具体的に何かとは出てこない
そして仕事や放送大学の授業があれば、時間を区切って途中で切り上げるから
たぶん、時間をかけるべき何かがあるはずだ!と思い込みたいだけなんだと思う

ただ、本当に時間をかけるべき何かがあるのかもしれない
直感というのをあまり意識したことはないけど、
違和感を感じるとそこには何か問題視しているものがあることが多いい
さっきも書いたけど、面倒くさくて何かを避けている可能性があるんだよね

なんか、生まれたからには何か生まれた意味があるんだ、に通じる物がある気がする
これの正体は自分自身と向き合う時間を設けることで解決しているんだよなぁ
だから、その逆で自分自身と向き合うことに時間を割くんじゃなくて
目的を達成するための時間に割く
これが、時間をかけるべき何かな気がするなぁ…

欲しかった物を作るために行動しているのに、自問自答し過ぎてて肝心の欲しかった物を作る作業の時間を取れてない
1つのものに集中しすぎ、ということを言いたいと考えるとしっくりくる

日記4、海外に行きたくない理由

ワーキングホリデーで海外に行きたくないんだよね
頭の中では行った方がいいってわかっているんだけど、どうしてもその1歩が踏み出せないんだわ

一番の理由は、ワーキングホリデーに行く理由がなくなっちゃったからだと思う
英語は、日記の翻訳を続けてれば扱えるようになるビジョンが見えたし
時給もそこそこ上がって、日本にいた方が稼げるし
放送大学に所属してるから、学生ビザで海外留学すればいいし

というように、わざわざワーキングホリデーを利用して海外に行く理由がなくなったのがでかいんだと思う
そして、一生に一度しか使えないから使わないのが勿体無いって考えた結果
行った方がいいって思い込んでいるだけなんだと思う

それと、ワーキングホリデーに行くよりも、
日本でルーティンワークとして漫画の作業を組み込んだり、
ルーティンワークの時短の方が価値があると考えてるんだと思う
ワーキングホリデーについて調べる時に観光地じゃなくてコワーキングスペースを調べる僕がいたし

そんな感じで、ワーホリよりルーティンワークの方が重要で、
今の生活はルーティンワークをこなすうえで最適な環境だから
手放したくない、僕のルーティンワークを邪魔されたくないからワーホリに行きたくないってのが答えなんだと思う

日記5,上手くやろうとすると緊張する

先週書いた、努力と才能についての日記を清書していた時に、清書するのに若干抵抗があった
それは緊張してて、清書することがストレスだったからなんだと思う
でも、日記を書いてて緊張することって今までほぼないんだよね
だから不思議だった

なぜ、緊張したのか?
それは、上手くまとめられるか?って不安があったからなんだと思う
理想が頭の中にあって、それを実際に書き出すとその理想に届かないかもしれない
だから、上手くできるか?って緊張したんだとすると納得できるかな

そして、頭の中で理想をイメージすればするほど現実と乖離して緊張する気がする
逆に、理想をイメージしないでぶっつけ本番の方が緊張しない気がする
それは、理想と現実にギャップがないからなんだと思う
今回の努力と才能については、結構長いこと考えてというのもあって理想が高くなってたんだろうね
だから、緊張した

というように、理想をイメージすると現実とギャップが生まれ、その理想の姿を体現できるか緊張するから
理想をイメージしないで、常に現実を見続けることで緊張しないんだと思う

日記をまとめてみての感想

普段、1つの日記を掘り下げて、面白そうな視点とかを探すんだけど
複数の日記を1つの日記に書き出すとそれはそれで色々と気づくことがあった

まず、共通点で
違和感を感じるみたいな直感は信じても良いと思った
というのも、違和感を感じるところには何かしらの直すべき問題があったから

2つ目に、文章をまとめるときに結論を述べてそれを説明するPREP法より、
「なぜ?」と自問自答して掘り下げく方がやりやすかった

それは、PREP法って他人へ説明するときに使う話法で
自問自答で出た答えをPREP法で説明しようと思うと難しいんだよ
だって、僕が納得するよう主観的に書いているんだから説明するにも客観的な証拠とか根拠が足りないもん

3つ目、少し考えればわかるようなことも
実際にやってみるまで気づけないという点で僕はやっぱり馬鹿で
他人に対して説明をしようとしない方が良いんだと思う

終わりに、僕は僕以外のことに言及すべきではない
意見をする時に「僕だったらこうする」と主観で話すべきで
客観的に話すべきじゃないって思った

というのも、客観的に話しても僕は馬鹿だから
辻褄が合わなくなるんだよね
だから、僕は論理や証拠を用いず
論理と共感を使うべきなのかなって思った

僕にとっては重要なことに気づかされてとても面白い日記だったかな
やったことがない試みをやってみると気づかない視点に気づかされて面白いと思った

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