日記

感情が動く理由

この前、イライラする原因を「知る・わかる」ことでイライラしなくなるって書いたんだけどさ
もうちょい深掘りして、そもそもなんでイライラしたり不安になったりするのか考えてみる

イライラするのは上手く行かない時

イライラしている時を想像すると、大体なにか上手く行ってない時のイメージがある
そのことから、「上手く行く」という「推測」をしていて、その「推測」から現実が外れるからイライラするのかなって思う

「推測」は感情を生む?

何かイライラしたり、不安になったりする時って「推測」がある気がする
イライラするのは良い推測が外れるからで、不安になるのは悪い推測をするから
映画を見て泣くのも登場人物の心情を推測するからだと思う

感情あるところに「推測」はあるように思う

じゃあ、イライラは「推測」のせい?

イライラするのは「推測」のせいであるとも言えるし、そうでないとも言える
というのも、推測が外れればイライラするけど、推測が現実と合致すればイライラしないから

推測と現実が「ズレ」るからイライラするわけだから、推測はあくまでもきっかけであって、イライラを生むのは「ズレ」なんだと思う

推測 → 「合致orズレ」によって感情が生まれる?

イライラするのは推測が「ズレ」るからだし
不安になるのも現実と未来に「ズレ」があるから
映画で泣くのも登場人物の感情に「合致」するから
喜ぶのも推測が「合致」したり「ズレ」るから
って感じで感情がある所には推測があるように思える

んー「合致」は違う気がするなぁ…
映画で泣くのは、泣くシーンが非現実的状況で「ズレ」があるし
喜ぶのも予想外という「ズレ」があるから喜ぶのであって、喜ぶようなことをするよーって伝えたら喜びようがないもんなぁ

そして、何故喜べないかは人の推測は極端だからだと思う

人の推測は極端

「良いことがあるから楽しみにしておいてね」
と、言われた時に人は極端に良いことを推測する気がする
だから、その良いことが実際に起きても思ったほど喜べない

仕事をすれば極端にスムーズに進む推測をするし、何かを目指せばそれを達成した姿を妄想する
僕の今までの経験でも極端な推測は多いい気がするなぁ
そして、悪い方向への推測も極端で
受験勉強失敗をこの世の終わりかのように捉え、何か安定がないと最悪の未来を想像する

けど、現実はどちらにも甘くなく大体その最良・最悪以下の結果になる
その中間くらいの結果を推測することは少ない気がする

感情が生まれるのは「ズレ」を認識したタイミング

ということから、「推測」を”きっかけ”にし、その推測と現実に「ズレ」が発生した所に感情はある
または、「ズレ」を認識したタイミングで人は感情を生むって言えるのかなぁって思う

感情は理性が生んでいる?

今まで「感情」は本能に含むイメージがあったけど
推測しそのズレを認識したタイミングで生まれるのであれば理性が生んでいると言えるのかも

というのも、
理性は他にも、理想と現実にズレを認識すると緊張し、一定の期間を超えるとストレスになる
という、感情が生まれるプロセスと同じ「ズレ」を認識する能力を持っていて、理性、もしくはこの前出てきた知性のどちらかの能力というのは間違っていないように思う

子供が泣く理由

1つ気になったのが、
推測ができないであろう未就学児が「泣く」という行動をする
理性や知性の未発達な子供の「泣く」という行動は本能による「感情」表現なんじゃないか?

で、考えたんだけど
これは本能によるものだが、感情表現ではなく
くしゃみと同じ生理現象って考えると腑に落ちる
泣くことで周りに助けを求めるという、生存本能によるモノなんだと思う

そして、大人になるにつれて泣かなくなるのも助けてもらう必要がない
自力でなんとかなるからなんじゃないか?

さらに、年を取ると涙もろくなるのは自力ではなんともならない、だから助けてくれという生存本能によるものも関係しているのかな?って思った
そう考えると、男性より女性、若人より年寄りの方が涙もろいのも納得

本能は思ったよりシンプル?

感情が本能によるものじゃないとすると、本能というのは思ったよりシンプルなんじゃないかなぁって思う

たぶん、「子孫を残す(生存本能含む)」というたった1つのプログラムのみインストールされているって考えるのが正しいんだと思う
これは生き物全般に言えるかな

少し前までは「楽をする」も本能にインストールされていると思っていたんだけど、楽をするのが当たり前の環境に生まれたからそう考えるわけで、奴隷として生まれたとしたら「楽をしない」のが当たり前になるからある程度環境によってインストールされるプログラムは異なるのかなぁって思う

なので、人が生まれた瞬間から備わっている、インストールされている本能は「子孫を残す」というプログラムのみで、生きてるうちに「楽をする」というプログラムを無意識にインストールしたり、理性や知性というプログラムを構築して感情という機能をインストールしたりしているのかなぁって思う

それと書いてて思ったが、理性や知性というのも文明が無ければ構築されなかったんじゃないか?って思った
文明ができる前は、本能と少しの理性・知性だけで生きられたのに、言語や文字などの文明を作った、自分たちが便利になるように行動し続けたせいで今までの理性と知性では足りなくなった
その結果、今の人間になったのかなぁーって猿やゴリラと比較して思った
だから、猿やゴリラ、知能が高いイルカなんかも文明を作ったら人間みたいになるのかなぁって思う

人間とコンピュータ

仕事でプログラマーやっているからプログラムという表現を使ったけど、なんかしっくりきた
書いてて思ったけど、人間は一見複雑なようで実はシンプルに「子孫を残す」というプログラムで動いているって考えると「演算を目的」としたコンピュータと同じでシンプルなのかなぁって思う

そして、僕もそうだったけど「何のために生きてる?」的な自問自答をしたことがあるんだけど、結局のところ「子孫を残す」ために生きてるわけで、そこには自我というのは無くてそのプログラム通りに動いているロボットだと言えるんかなぁって思った
もし、自我を確認しようと思うと「子孫を残す」というプログラムに抗ってみる必要がある気がするが、コンピュータで言うところの「演算」をしないということで、それはタダのガラクタだからやっぱり従うしかないんだろうな

哲学めいてきた(笑)
とりあえず言いたい事としては、人間とコンピュータって似てんなぁー

感情が無い人

感情が無い人という言葉を聞いたことがある
イメージとしては無表情な人なんだけど
今回の理論に当てはめると「推測ができないorズレを認識できない」人なのかなぁって思った

先天的な感情が無い人はわからないけど、後天的な感情が無い人はある程度(僕でも)推測ができる
というのも、後天的な人はストレスが原因でそうなることがあるって聞いたことがあって
僕もストレスに悩まされ、現実と理想の「ズレ」を無くせばストレスが無くなると考え、どうにか無くせないか考えたことがあるんだよね
その僕がしようとした「ズレを認識しない」を実際に行ったのが後天的な感情が無い人なんだと思う

じゃあ、感情が無い人はストレスがないのか?って考えるとそうでもなくて
先天的な感情が無い人は、周りの人の感情を理解できないことでストレスを感じるらしい
そういう推測ができないところに「ズレ」を認識し、ストレスを感じてるんだと思う
で、後天的な人も治らなければ同じことが起きると思う

だから、感情が無いというのは一時的にはストレスを感じなくて済んでいいことかもしれないけど、長期的に見るとデメリットしかないんだろうね
やっぱり、ストレス発生源から逃げるんじゃなくて立ち向かうってのが正しいってハッキリわかんだね

まとめ

感情は「推測」を行い「ズレ」を理性・知性で認識することで生まれる
そして、その「ズレ」が大きければ生まれる感情も大きくなるんだと思う
なんか地震みたい
プレートがズレて元に戻る時に地震が起こるわけだが、ズレが大きければ大きな地震が起きるわけだし
人間も地震と同じでズレが大きければ大きいほど元に戻る時の感情が大きくなるんだろうね
人間にも耐震補強が必要だわ

終わりの一言

書いていて、なんか学術的な論文書いてる感覚になったわ
日記のはずなんだけど、筋道立てて書いてるとそういう方に寄るんね
面白かった

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