日記

会話の9割は「比較」で成り立ってね?

ふと思ったんだけど、人との会話の9割は「比較」で成り立ってね?って感じたので書き出し

会話の9割は「比較」

友人と会話をすると「最近、調子どう?」から始まり、会社の話や趣味の話、お金の話や世間の話
「今と昔」や「僕と友人」などの「比較」で成り立っている気がしたんだよね

そして、その「比較」するモノ同士が離れていれば離れているほど会話は盛り上がる気がする

というのも、久しぶりに会話する友達との会話って弾むんだよね
でも、次の日も会うと初日ほど盛り上がらないんだわ
それは、「今と昔」という「比較」する対象が近くなったからで、ギャップがないから盛り上がらないのかもしれない

盛り上がるで言うと、陰口も盛り上がる気がするなぁ
陰口叩かれるような人は普通じゃないから陰口叩かれるわけで、「普通の人と陰口叩かれる人」との間にギャップがあることが盛り上がる原因なのかも

んー考えれば考えるほど、会話は「比較」で成り立っているような気がする

会話の1割は「事実の共有」

9割は「比較」だけど、残りの1割は何か?
それは「事実の共有」だと思う

初対面の人と接するときって「比較」するモノがないから、まずは自己紹介などの「事実の共有」から始めると思うんだよね

で、事実の共有をして、共通で持っている情報を探る
そして、そこを切り口に会話という「比較」をする

もし、比較できるようなモノが見つからない時は会話は続かない
だって比較できるモノがないもん

初対面で会話が盛り上がるのは「事実の共有」で共通部分を見つけ、「比較」するモノ同士にギャップがあるから盛り上がるのかもしれない

状況によって比較対象は変わる

ふと思ったけど、日本での日本人同士の会話と海外での日本人同士の会話は異なる気がした
日本で日本人同士で話しても盛り上がらないけど、海外で日本人同士が会話をすると盛り上がるイメージ

だから、状況によって「比較」するものが変わる
会話は状況によって左右される一面があるのかも

会話は情報共有のために生まれた手段

「事実の共有」をして「比較」することが「会話」だとすると、会話というのは情報共有をするために生まれた「手段」なのかなぁって思う

というのも、何か危ないモノがあるとして
その危ないモノという「事実の共有」をして、他の人の持つ情報と「比較」を繰り返し情報の精度を上げる
みたいな感じで使われていたのかなぁーと

そして、情報共有を効率良くするために言語ができて、その情報を効率よく伝達するために文字ができた
そう考えると、人類史は会話から始まったとも言えるのかなぁ?

今はインターネットなど会話で情報を取得しなくて済むけど、それらも会話の積み重ねによる効率化によって今があるんじゃないか?って気がする

けど、情報共有の「手段」として生まれたはずなのに、現代の会話は「目的」になっている気がして違和感
だって、会話は「盛り上がっている方が良い」って考えがあるんだもん
情報を共有することが「目的」の会話で、盛り上がる必要があるのか?って思うんだよね

ちょっと考える

現代の会話がなんで「目的」になっているか?

現代の会話がなんで「目的」になっているのか考えてみると
それは、会話をしなくても情報共有する手段があり、「手段」としての会話の側面が薄れているからなんだと思う

今だとインターネットとかがあるしね
少し前だとテレビやラジオ、更に前だと書物がある

そういう、情報共有する手段が増えたことで会話をする必要が無くなったことが「目的」になっている原因の1つなんだと思う

とは言え、ローカルな情報を知ろうと思うといまだに会話はローカルな情報を知る「手段」として用いられているよね
逆に言えば、ローカルな情報も会話以外で知ることができるようなったら会話は「手段」として用いられることがなくなるのかもしれない

会話を人は何故するのか?

次に、情報を容易に手にすることができるのに何故人は会話をするのか?

インターネットなどの情報共有する手段があるにも関わらず人は「会話」をしようとする

会話をしないと寂しさを感じる気がする
ということは、会話は人間の本能だからなのかもしれない

これは、人間が他の生き物と比べて弱く脆い、それらを補うために会話するって考えると腑に落ちるな

というのも、人は変なもん食ったら死ぬし、病気になったら死ぬし、鋭い爪や牙ないから野生動物と戦ったら死ぬ
そういった危ないモノを「会話」という情報共有をし「比較」を行い情報の精度を上げ、事前に対策をすることで生き延びてきた

生きるための会話で、それは人間の生存本能なんだと思う
そう考えると、会話をしないことで寂しさや不安を感じるのも当然なんだと思う
だって、会話は生存本能なんだもん

んー…
会話をするのは、生存本能なのは合っている気がするなぁ

会話をすることで「安心」するんだろうね
会話で「比較」し情報の精度を高めることができる、そうすると生存確率が上がるから「安心」する

あ、会話は「目的」じゃなくて、会話は「安心」を手にするための「手段」だわ
現代の会話は「目的」じゃないわ

会話は「安心」できる環境を手にするための「手段」

情報共有の「手段」の会話で「盛り上がったほうがいい」って考えるのはおかしいって思ったけど、「安心」を手にするための「手段」って考えると、「盛り上がったほうがいい」と考える現代の会話は「目的」ではなく「手段」だわ

人間は群れで生活する生き物で、群れを作るなら「安心」できる方が良い
その安心できる人間を探すための「会話」で、「盛り上がる」というのは自分に近い人間というサイン
「盛り上がる」というのは「安心」できるかどうかの1種の判定基準なんだと思う
そう考えると腑に落ちる

なので、今も昔も「会話」は「安心できる環境」を作るための「手段」なのは変わってないんだろうね

終わりに

まとまらねぇ
次から次へとアイデアが出てきちゃって、話があっちこち向いちゃって、結束バンドで無理やりまとめた感あるわ

とりあえず、まとめ

「会話」は情報収集をして「安心」できる環境を作ることが目的で、「事実の共有」をし「比較」を繰り返すことでその情報の精度を高める人間の生存本能
で、合っているんじゃないかな?

少なくとも、これらは「会話」の1つの側面ではあるように思う
とはいえ、会話を理解できたことで会話に少し興味が出たかな

僕は会話ってあまり好きじゃなくてさ、だって何話せばいいかわからないじゃん?
それに、友人や知人が増えれば増えるほど時間が奪われるし、会話はいつでもできるから僕にとっては優先度低かった

でも、どうすれば他人に「安心」を感じてもらえるか?というゲームとして遊べることに気づいて、それは面白いなって思った

それに、このゲームは「今日の調子はどうですか?」という一言から始められるわけで、容易に始めることができる
あと、日記のネタになる

だから、興味が出てきた

どっかでかコミュニケーションについて考えようと思ってたけど、思わぬタイミングで考えさせられて驚いたわ
とは言え、このゲームをするのはもうちょい後かな

今、「無意識を意識する」シリーズについて書いてるんだけど、このシリーズは今まで見たことがないような新鮮さで溢れてて楽しいわ
会話で緊張する部分もあるから、このシリーズ中に「なんで緊張するのか?」これを解き明かしたいね

さっさと書ききって、落ち着いたタイミングでゲームを開始しようと思う

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