日記

よくわからない感覚になる

嫌だシリーズというか、1つについて考え続けているとよくわからない感覚になる気がする
何故か?

近づきすぎてよくわからなくなる

近すぎるのかな?
「意識し過ぎて」近づき過ぎるってのは理由としてある気がする
それゆえに、よくわからなくなる

第三者的な視点が失われるからよくわからなくなる

なんで近すぎるとよくわからないことになるのか?
深く物事を見ようとすると近づかないといけない
それゆえ、当事者になって、第三者的な視点を失う
第三者的な視点を失うことでよくわからないという事態になっている気がする

じゃあ、第三者的な視点を失うとなんでよくわからなくなる?

近づき過ぎてバランスが崩れるからよくわからなくなる

近づき過ぎて、片方に寄ってバランスが崩れているってのはある気がする
例えば、学生時代の勉強や社会人にとっての仕事はまさに偏っている
というのも、勉強や仕事を当事者が感じる「嫌い」という視点で見て、第三者的な視点で見ていないから
けど、時間を置いてみると「嫌い」という視点ではなく、フラットな第三者的な視点で見れる
よくわからない状態になっている僕は、近づき過ぎて偏り、バランスを崩しているからそういう状態になっているんだと思う

時間を置く以外の解決方法

よくわからない、という状態になっている時
時間を置けば解決するんだとは思う
けど、時間を置かずに解決したい

そこで重要なのは「距離」な気がする
時間が経つと第三者的な視点で見れるのも、物事から距離を置いて見れるから
その距離間をコントロールできると、時間を置かずに第三者的な視点で物事を見ることができるんじゃないかな?

先入観が近づき過ぎる原因

まず、近づき過ぎてしまう理由としては、先入観がある気がする
勉強や仕事は楽しくないモノって先入観があるから容易に「嫌い」と距離を詰めることができる
そして、よくわからないことが起きると理解できずより「嫌い」と距離を詰めて近づき過ぎるという状態になる

僕も、何がわからないかわかっていないから、「嫌い」のようなポジションに陥っているのかもしれない
となると、何がわからないかを1つずつ片付けていく、整理整頓をする必要があるんだと思う
これは、結局のところ時間の問題になりそうだなぁ…

「知る」ことで距離を空けることができる

逆に「好き」の場合は、ドン引きという言葉あるように近づき過ぎた状態を第三者的な視点まで戻すことができるように思う
仮に、付き合っている異性がうんこを食うってなったらドン引きすると思うけど、それも「知る」という行為で「好き」も「嫌い」も「知る」ことで距離をとって第三者的な視点に戻ることができるのかもしれない

完全な第三者的な視点に戻ることはできない

ただ、距離を空けてもうんこを食った人という情報は消えないわけで、その異性をフラットな状態で見ることは未来永劫無い気がする
あくまでも、うんこを食った付き合っている異性を第三者的な視点で見るって状態になるだけで、それはその状態に慣れるという話で、完全な第三者的な視点とは言えない気がする

そう考えると、よくわからない状態を完全な第三者的な視点に戻すことはできなくて、できることはその状態に慣れて、よくわからない部分を「知る」という形で1つずつ解決すること
それは結局のところ、時間の問題な気がするなぁ

もし、僕にできることがあるとしたら、「慣れる」ことを早めるとか、よくわからない状態を腑に落とすとか?
ただ、今回みたいに1日空けると解決したりするわけで、やっぱり時間の問題なんだと思う

まとめ

まとめると、1つのことを考えてよくわからない状態になるのは、考え方が偏って第三者的な視点のように距離を空けて物事が見ることができない状態になるから
言い換えるなら、何がわからないかわからないって状態で、解決するためにはその状態は「慣れて」1つずつ問題を解決することで解決するしかない
結局のところ時間の問題

僕の場合は、僕視点で物事を考えすぎて、ユーザー視点で物事を見ることができない状態だったんだと思う
で、時間を置いたことで、僕視点とユーザー視点を合わせたような視点で見ることができたから上手くまとまった、って考えると納得かな

終わりに

まとめようまとめようと焦って、より近づいてしまい見えなくなるとかはある気がするなぁ
今回の僕がまさにそれだったわ
今度からは焦らずに時間を置くようにするが、内容が抽象的過ぎるのも問題な気がする

なんというか、よくわからない状態って「回る」という動作が左回転か右回転かで揉めているような感覚があるんだよね
どっちでもいいじゃんって感じるけど、その「回転」は相手が殴ってきて威力を分散させるための「回転」って考えると、相手がどちらの腕で殴ってきたか?という点でも回転方向が変わる
って具合に、回転方向によっては辻褄があわなくなる
そういう、やり取りが頭の中で抽象的に行われている感があるんだよね
で、それが頭の中にイメージとして残ってないことで、考えるたびに回転方向と殴っている腕が変わってきてよくわからない状態になっている感覚がある

だから、抽象的に物事を考えないで、全部映像イメージ化などの視覚的な情報に変換する必要があるのかなぁって思った
そういう点だと、漫画で描くってのは理に叶っている気がする
本腰を入れてやってみるかなぁ

Leave a Comment

入力エリアすべてが必須項目です。メールアドレスが公開されることはありません。

内容をご確認の上、送信してください。