頭が悪いことのメリット
「頭が良い」と比べると「頭が悪い」ことは悪いことのように見えるが、「頭が悪い」ことにも何かメリットがあるんじゃないか?って前から気になってたので書き出し。
頭が悪いと馬鹿の違い
まず、混同しがちな「頭が悪い」と「馬鹿」について。
頭が悪いは「脳の処理能力が低い」という脳の恒久的なスペックを指して、馬鹿とは「脳のリソース配分が少ない」という一時的な状態を指す。
そして、脳のリソースが少なくなると「面倒くさい」と感じて「馬鹿」になる。それは仕事はできるけど子育てに全く興味がない男性のように興味がないことに対してリソースを割かないことが「馬鹿」という状態。しかし、「頭が悪い」とくらべて「馬鹿」は脳のリソースの配分の問題なので離婚危機などに際し再配分することで治る。
また、頭が良い悪い関係なく脳のリソースには限界があるため、どちらもリソース足りなくなると「馬鹿」になるが、頭が良い方が脳のリソースの総量が多いいため「馬鹿」になりにくい。
そういう、「頭が悪い」と「馬鹿」は違うという前提の元進めていく。これを分けて考えないとまとまらないので必須だったわ。詳しくは以下で書いている。
「馬鹿になりやすい」は頭が悪いのメリット?
まず、「馬鹿になりやすい」ことが頭が悪いことのメリットなんじゃないか?
なぜなら、頭が悪い方が馬鹿になりやすいため考えず「とりあえずやってみるか」など、突発的な行動を取りやすいように思うから。何か成功を目指した時、行動が必要になる。その必要な行動は頭が悪い人の方が取りやすいように思う。なので、「馬鹿になりやすい」というのは頭が悪いのメリットなのではないか?
けど、頭が良い人も「とりあえずやってみるか」と考える気がする。それは机上でいくら考えても実際に行動してみないとわからないことや、直感的に良いと感じての「とりあえずやってみるか」。そして、それは頭が悪い人より頭が良い分確度の高い「とりあえずやってみるか」のような気がする。なので、頭が悪いことの独占的なメリットではないように思う。
「理解ができない」は頭が悪いのメリット?
では、「理解ができない」ことが頭が悪いことのメリットになるんじゃないか?
頭が悪いと脳の処理能力が低いわけで、「普通に考えたらできないよね」ということがあっても、頭が悪いが故にその「普通」が理解ができず、理解できないまま始めて、続けていたら何かしらの結果を出す。そういう理解できないが故に人が驚くような何かを生み出す可能性があるのではないか?
しかし、これは「馬鹿」のメリットのように思う。というのも、「普通に考えたらできない」という「普通」は文化や環境が作り出している価値観で、異なる文化や環境の人からするとそもそも「普通」ではない。その環境下での「普通」を考えないという話なので「馬鹿」のメリットだと思う。そして、馬鹿は頭良い悪い関係なくなるので、頭が悪いことのメリットではな無いように思う。
「ビジネス」で頭が悪いはメリット?
それなら、ビジネスにおいてはどうか?
世の中の大多数は頭が悪く馬鹿が多いい。それは多数決で決まる政治を見るからに明らかだ。そういう人達に刺さるビジネスをしようと思うと頭が悪い人の方がより刺さるサービスを作れるのではないか?
けど、世の中のビジネスにおける成功者は高学歴で頭が良い人が多いい。それは既に多くの成功しているビジネスがあり、マニュアルのようなものがあるからなのだと思う。そして、頭が良い人はそのマニュアルをしっかりと読み理解することができるが、頭が悪いと脳の処理が追いつかなくなり飛ばし飛ばし読んだりオリジナリティで読み飛ばした部分を埋めてアレンジを加えてしまう。だから、マニュアル通りにできる頭の良い人が成功して、マニュアル通りにできない頭が悪い人で成功している人が少ない。そう考えると、ビジネスにおいても頭が悪いことでメリットはないように思う。
「漫画家」で頭が悪いはメリット?
最後に、漫画に関してはどうか?
漫画に決まった成功パターンはあるようでない。もし、あるのであれば世の中には面白い漫画だらけになっているはずだ。そして、高学歴の漫画家で成功している人はほぼいない。そのことから漫画家では頭が悪いことがメリットになるのではないか?
しかし、これは学生時代の過ごし方の違いに原因があるように思う。というのも、学生時代に勉強が苦手な頭の悪い人達は勉強をせずに漫画ばかりを描き、頭の良い人は勉強をして絵を描かない。そして、頭の良い人は良い大学に進んで、漫画家を選ばなくても良い就職先がある。反面、頭の悪い人達は漫画家以外に選択肢がない。だから、頭の悪い人達は漫画家になって、頭の良い人達は漫画家にならないという選択をしているだけのような気がする。
そして、もし頭の良い人達も勉強をせずに漫画ばかりを描きだしたら、頭の良い漫画家がたくさん現れるのだと思う。なぜなら、漫画の神様と呼ばれる手塚治虫は医師免許を持つ頭の良い人だから。なので、漫画家において頭の悪いことがメリットになることはないんだと思う。
頭が悪いことでメリットはない
色々と考えてみたけど、頭が悪いことでメリットはないように思う。
そして、それも当然なのかもしれない。なぜなら、頭が悪いというのは脳の処理能力が低いということだから。例えば、スペックの低いパソコンと高性能なパソコンが同じ値段の時、わざわざスペックの低いパソコンを選ぶ理由がない。
もし、スペックの低いパソコンを選ぶ理由があるとすれば、それはデザインが良い、好きなメーカーが出している。または、在庫処分のために店員に言われるがままに買わされているのどれかなんだと思う。しかし、それは頭が悪いというスペック部分以外で選んでいるわけで、わざわざスペックが低いパソコンを選ぶ理由は存在しないんだと思う。
そう考えると、頭が悪い人で成功している人がいるのも、容姿が良い、某アイドル事務所が出しているグループ。または、影響力のある何かが勧めるなど外的な要因などで説明がつくように思う。
なので、頭が悪いというのは純粋に悪い事なんだと思う。
「博打を打てる」が頭が悪いのメリット?
とは言え、何かメリットがないか?って考えると、「博打を打てる」というメリットはあるように思う。漫画家のような博打要素が強い職業を目指そうとすると、やはり頭が悪くないと目指せないと思う。だって、目の前に高給で将来安定の仕事があるのに、わざわざ博打を打つ理由が無いから。
そういう、博打を打つしか選択肢がないような、頭が悪い人の「博打を打てる」はメリットなんだと思う。
けど、博打を打って上手くいけば良いけど多くの人は上手くいかないわけで、そういう当たるか当たらないかわからないという博打を打てる事が「頭が悪い」メリットというのはいささか抵抗がある。とは言え、他にない気がするので「博打を打てる」はメリットなんだと思う。
終わりに
頭が悪いことで何かメリットがあるんじゃないか?って考えてみたんだけど、「馬鹿」と分けて考えると「頭が悪い」ことにメリットはないんだなぁって気づかされた。
ただ、僕も頭が悪いんだけど、頭の悪さって何か脳の欠損から来ている面があるんじゃないか?って思うんだよね。例えば、発達障害。僕は発達障害ではないと思うし、グレーゾーンと呼ばれるような人でも無いと思うんだけど、昔から人が当たり前のようにできることができない経験がある。
それは、滑舌の悪さから始まり、給食で食べられるモノが少なかったり、国語や作文など言語が絡む系の文章理解力が低かったり、恐怖から人より勉強するのに周りと比べて結果が伴わない。兄弟間でも勉強しない弟が良い点を取ってて疑問だった。そういう周りと比べて何故かできないと感じることがちょくちょくあった。
だから、「あ、僕は頭が悪いんだ」って気づいて、周りと比べて違和感を感じるから発達障害的な何か脳に欠損があるんじゃないかって疑ったんだけど、もしそうだとすると測る物差しが違うのかなぁって思う。
というのも、僕は普通の人を測るための物差しで自分を測った結果「頭が悪い」という判断をしたんだけど、測る物差しを変えると僕ってかなり優秀な測定結果を出すと思うんだ。例えば、こだわりの強さを測る物差しで測ると僕は多分トップレベルの結果を出す。また、臆病さを測る物差しで測ってもトップレベルの結果を出す。それらは、金にならない日記にこだわったり、怖いから勉強をしてしまうという周りと比べて優れている?と感じる点からそう思う。
そういう「頭が悪い」を裏返すとそこには「頭が悪い」原因があって、「普通の人」で測る物差しで測ると僕は「頭が悪い」人だけど、別の物差しで測ると優秀な測定結果が出たりするかもしれない。だとすると「頭が悪い」のメリットはそういう「頭が悪い」原因こそがメリットなんじゃないか?
とは言え、どうなんだろうね。世の中は普通の人を基準に動いていて、その基準からはみ出ると「頭が良い」「頭が悪い」とレッテルを貼られる。「頭が悪い」というレッテルを貼られたらそういう普通の人を基準にしないような職業に行った方が良いのかもしれない。それこそ漫画家とかクリエイティブな業界に進んだ方が発揮できる能力が合ったりするのかもね。