日記

パニック

確定申告の作業をしていた時に、Adobeのサブスク代が今年の2月から倍に跳ね上がっていることに気づいて、原因を調べたら学割が外れていた。現役の放送大学生なのになんでだろ?って思い学生証を確認したら有効期限が書かれており去年の9月末で切れていた。なので急遽、次の日に更新しに行こうとしたらパニックになったので書き出し。

なんでパニックになった?

パニックになった理由は、翌日の予定が急に変わることが想定外だったから。

というのも、学生証の有効期限が切れていることに気づいたのが土曜日で、日曜日に行こうとしたんだけど日曜日は僕の週一の休みなんだわ。だから、何か予定が入ることを全く想定していなかったんだよね。

しかも、放送大学の学習センターに行ったことが無いし、そもそも日曜日にやっているかどうかわからないし、日曜日はゆっくり寝たいのに学習センターに確認の電話をするため早く起きないといけなかったり、せっかく学習センターに行くならと近くに住んでいる弟と会おうとしたり、学習センター近くのデパートでホワイトデーのフェアがやっているからお返しを買おうと予定したり、日曜日に確定申告を終わらせようとしてたからそれがズレたりって感じで予定がぐちゃぐちゃにされたからパニックになった。

予定の整理

なので、予定の整理をした。

まず、午前中に起きて学習センターに連絡して確認。確認ができたら弟に連絡して電車に乗って学習センターに行き、終ったら弟の家に行く。そして、ホワイトデーのお返しを買って、弟と食事をして家に帰る。

確定申告については来週の日曜日(10日)にすれば間に合うからそれまでにする。そして、予定はgoogleカレンダーに入れておく。

って感じで整理することでパニックに対応した。

習慣的想定外

今回のパニックは僕的にも驚いた。たぶん、会社員時代であれば何も考えないで学習センターに行って学生証の更新をして、弟が暇そうなら一緒に飯食って、「ホワイトデーフェアやってるやん、ついでに買ってこー」って感じで、常に目の前だけを見て行き当たりばったりで行動が出来たと思う。

けど、会社を辞めフリーランスになったコロナ禍以降。同じような毎日を何年も過ごしているから日々を効率化していて、前日に翌日の予定が急に変わるってことがまず無かった。更に、何をするにしても事前に準備をして常にベストな選択を取ることを意識していたり、普段の日記で僕自身の問題を言語化して解決してきた。僕は、日々を送る上で正解を探すような生活をしていて、正解を常に出し続けている自負と習慣があったみたい。

だから、今回のような学習センターがやっているかどうかだったり、弟の予定が合うかどうかなどの自分以外が答えを持っている場合、いつものように答えが出せなくてエラーを起こしてパニックになったってことみたいだわ。

普段、あまりない感覚だったから凄く新鮮だった。

習慣内か習慣外か

もう一つ面白い感覚があった。というのも、パニックを起こした時に「確定申告などの対応は来週する」ことをメモ書きしようとしたんだけどさ、それをこのブログに残そうとする僕がいたんだよね。これが凄い不思議に感じた。だって、理性ではgoogleカレンダーに残せばいいと考えるんだけど、本能がブログにメモを残したがるんだもん。

で、なんでそうしたがるかを考えると、googleカレンダーって仕事をしている時であれば毎日見るんだけど、今は仕事をしていないからgoogleカレンダーを見る習慣が無くなっているんだよね。けど、ブログであれば毎日触るから、ブログにメモをすれば習慣的に見るから絶対忘れない、って感じで安心感があるからブログにメモを残したい僕がいたみたい。

言い方を変えると、ブログのような習慣的に触る所にメモをすれば意識しなくて済むから楽ということなんだと思う。確定申告って15日までと期限があるわけで、忘れないように常に意識し続けるのがしんどい。だから、毎日見るブログに残しておけば習慣的(無意識的)に見るから絶対忘れない、なのでブログに残したい!って感じだったみたい。

そういう、習慣内(無意識)の何かと紐づけておきたい、習慣外(意識)のモノと紐づけるのは不安だし意識し続けないといけなくて怠い、って感覚を本能は感じるんだなぁって点で面白いと思った。

まぁ、ちょうど年度末で猫の手も借りたい会社さんから仕事の依頼が来て仕事を再開するからgoogleカレンダーにメモ書きしたけどね。

終わりに

今回の日記を書いてて、「習慣(慣れている)=安心」で「習慣じゃない(慣れていない)=不安」のような関係性がちょっと引っかかった。文字として書き出すと当たり前のことなんだけど、安心って何?不安を感じるのはなんで?って疑問を解消しようとする時に使えそうだなぁって印象。

実際、チェーン店と個人店だとさ、チェーン店の方が安心感あると思うんだよね。それは、チェーン店であれば全国共通のシステムで慣れているから。けど、1人で入るには不安な個人店でも2人で入るなら安心を感じたりする。なんで1人だとダメなのに2人なら大丈夫なのか?そう言ったことを紐解こうとする時に習慣(慣れている)ってのがきっかけになるんじゃないか?って感じ?

まぁ、一番は漫画で気になっている部分の解決に使えそうって理由な気がする。

おまけ、漫画が読まれない理由

僕は漫画を描いていて、読まれないなぁーって感じているわけだけどさ、その理由として「絵が下手」が理由だと考えているんだよね。そして、その理由が腑に落ちているんだけど、なんで絵が下手だと読まれないのか?って部分に、「習慣(慣れている)=安心」と「習慣じゃない(慣れていない)=不安」が関係しているんじゃないか?って考えている。

というのも、漫画って日本発ということもあって、日本の読者って目が肥えているわけよ。そして、絵が上手いプロの作品に慣れている。逆に、絵が下手な作品には慣れていない。なので、絵が下手な僕の作品は読まれないんじゃないか?って思う。

また、絵が下手でも数ページ程度であれば読める。なぜなら、1ページのコマ数も多くて4コマくらいだし、1~2スクロール程度で終わって我慢ができるから。

けど、僕は絵が下手なのに数ページではなく10ページ近い作品を描く、それは読者的に慣れ親しんだプロの作品ではなく不安を感じる。だから、読まれないんじゃないか?って感じで読まれない理由の1つの側面を形成しているんじゃないかと考えている。

なので、引っかかったんかなぁーって思う。ちょうど、現在進行形で考えている部分だしね。

とはいえ、素人が集まるような漫画投稿サービスにアップロードすれば、その環境では絵が下手な作品に慣れている人がたくさんいるから、今より読まれるんじゃないか?って思うんだよね。ある程度そういう環境の影響で読まれないみたいなこともあるのかなぁって思う。まぁ、試そうとは思わないけどね。

なんか凄い脱線した気がするけど、言語化したことで問題がクリアになった気がする。

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