日記

ペン入れが腑に落ちない

8話のペン入れをやっていてモヤモヤしたり色々と気づいたことがあるので書き出し。

時間がかかり過ぎ問題

今回一番モヤモヤした点としては時間がすげぇかかったという点。

実際に計算をしたわけじゃないから正確な時間についてはわからないんだけど、体感的には前回と比べて倍の時間がかかっているように感じる(日数的には20日間)。

特に3時間で2コマしか進まないってこともあり、それは8話以前で有り得なかったから間違いなく時間がかかった。

とは言え、8話は描きこむ量が過去一多かったし、レイヤーごとにグループ化して命名・整理整頓をしたり、仕事もあり下描きが甘かったり、ペン入れ時に左右反転などのバランスを調整したりしたって感じで時間がかかる要素が多かったのも事実。

それらを理解はしているんだけど時間がかかってモヤモヤした。

下描きの重要性

ペン入れをしていて下描きが大事だって思った。

というのも、ペン入れをしていて下描きに足を引っ張られていると感じることが多かったから。

例えば、下描きが荒いと「どれが正しい線かどうか?」で悩んだり、左右反転してバランスが悪いとペン入れの時に直さないといけない。

そういう下描きが荒いことで、足を引っ張られる感覚を感じることが多かったから、下描きが重要だと思った。

それに、ペン入れの時はペン入れのことだけを考えるのが正しいとも感じた。

特に人物に関しては下描き以上に魅力的なキャラクターは生まれないって言うのかな?そういう、下描きがあってのペン入れ、って感じがあるから次描く9話ではしっかり下描きをしようと思う。

謎のこだわり

ペン入れをしていて、変な所でこだわっている僕がいるのが気になった。

僕は描く漫画を抽象的にしたいって考えているから全ての線を手描きで描いている。けど、背景に関しては手描きじゃなくてもいいんじゃないか?ってふと思ったが、「でも…」って頑なに手描きにこだわる僕がいた。

なんでなのかを考えると、僕は絵が下手で手先が不器用のため、背景で定規で引いたような真っ直ぐな線を使ってしまうと、キャラクターの(線の)粗さに注目が集まってしまう。だから、背景含めたすべてを手描きにすることで、その注目を分散させる目的があって手描きにしている面がある。

けど、背景も手描きにしてしまうと、構図によっては(手描きの)線が密集し「ここはどこなのか?」と背景が認識しづらくなるような感覚を感じた(例:8話の最後のページの左上のコマ)。パッと見でどこの背景なのかが認識できないから背景に注目が行き、キャラクターに注目が集まりづらいというのは僕としては本意ではない。なので、背景をわざわざ手描きで描く必要性は無く、定規で引いたような線で背景を描き、パッと見で背景を理解してもらい、キャラクターに注目がいくようにした方がいいんじゃないかって思った。

とは言え、それは背景が込み入っている場合で、余白をしっかり持たせゆとりのある背景であれば今のまま手描きでも良いのかなぁって思う面もある。

あくまでも「何が何でも手描きにするんだ!」というこだわりを持つ必要性はないのかなぁって話。もし、こだわるなら背景の構図含めてこだわるべきなんだろうなぁって思う。

規則性

上のこだわりにも通ずるのだが、規則性があるとそれをひと固まりとして認識するんだなぁって気づきが面白かった。

というのも、8話の6ページ最後のコマで体育館を引きで描いたのだが、渡り廊下の屋根の裏側を描く時に等間隔で線を引いて屋根裏感を出したんだけど、パッと見で等間隔の規則性のある線の集まりは1つの固まりとして認識しやすい感覚を受けて驚いた。

ただ、よくよく考えてみるとトーンもドットの集合体だし、トーンはドットの密度を変える事で濃さを変えたりしているのだから「等間隔で規則性」があると、それを1つのまとまりとして認識するのは当然なんだと思う。

でも、これを使えば手描きだけでも読みやすい(パッと見てわかりやすい)漫画も作れるんじゃないかって思った。そういう言語化をするきっかけになったという点で面白い気づきだった。

終わりに

今回の8話のペン入れは凄いストレスを感じたが、同時に色々と気づきがあって面白かった。

…。

んー、「8話の反省会」も書こうと考えているから、特に書くことがないわ(笑)

いつも「終わりに」では長々と書いているのもあって、1行2行で終わりだとしっくりこない感覚がある。これも「こだわり」で、こういうのが「変なこだわり」とかを生んだりするのかなぁ?

だとすると「こだわり」というのは、「前に倣い」それを疑いもせず当たり前のように行うことで構築される。けど、その倣っている「前」が間違っている可能性を全く考慮していない気がするから、こだわること自体がそもそもおかしいのかもしれない。

じゃあ、なんで前を倣うか?それは、楽だから!(実際、前に倣えば考えなくてよくて楽だもんなぁ…)。

ちょうど仕事で、今までやったことがないスクロールアニメーションガッツリやるサイトやっているんだけどさ、すげぇやりたくなかったんだよね。なぜなら「やったことがない」から。

それに、僕はスクロールアニメーションを入れることでメンテナンス性が下がったり、改修のコストが上がったり、そもそもアニメーションがあるから売上が上がるわけじゃないよね。って感じでアニメーションをやらないことに「こだわり」がある。

それも「前に倣え」の「前」がない(やったことがない)からで、それをする時の僕が一番「前」になることが凄い面倒くさい。だから、そういう「こだわり」を持って「やらない」ようにしていたって考えると腑に落ちるわ。

つまり、「こだわり」というのは「前に倣え」で「前」の行動を真似ていればよく楽だから「こだわる」。それは裏を返せば「やったことがない」「面倒くさい」という意味で、逃げの側面もあるのかもしれない。

そして、「こだわり」が良い悪いかで言うと「自分にとっては良い」が「他人が絡む場合は悪い」ことが多いいのかなぁって思う。

なので、「こだわり」が出てきたら「自分にとっては良いが、他人(別の視点)からするとどうなのか?」って自問自答をすべきなんだと思う。

これは普通に日記で書けそうだけど「内容が短い…」と感じる。これも「こだわり」なのかもね(内容が長ければ良いと考える「こだわり」があるという意味)。

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