日記

可哀想

少し前に、多目的トイレで不倫をした芸人さんの記事が流れてきて、その記事に「嫁さんが可哀想」ってコメントがあったことが気になった。当時言語化できなかったんだけど今ならできそうなので書き出し。

「嫁さんが可哀想」ってコメントが気になった理由

なぜ「嫁さんが可哀想」ってコメントが気になったかって言うと、その嫁さんは芸能人に興味がない僕でも名前を聞いたことがあるような女優さんで、美人の代名詞として使われるなど知名度もあるし、仮にバツイチになったとしても他の男性から引く手数多だろうから、赤の他人が「可哀想」って言うほど「可哀想」ではないんじゃないか?って思ったんだよね。

例えるなら、100億の貯金がある人が親友に1億円だまし取られたようなもので、でも99億円あるじゃんって感覚。

とは言え、「信じている人に裏切られた」という点に関して「可哀想」だし、そのコメントがそれを指しているのも分かっている。

けど、「可哀想」ってコメントをした所でその女優さんを助けることができるわけじゃないし、わざわざ「可哀想」とコメントをすることでコメントをした人が幸せになるわけでもない。だとすると、美人でお金も持っているその女優さんを「可哀想」という風にして見下したい側面があるのか?って感じで当時は気になった。

「可哀想」は情報

で、なんで「可哀想」って言うのかを考えてみたんだけど、「可哀想」と言うのは「この人は手助けが必要な状態である」という「情報」を伝えるために言っているんじゃないかって結論に至った。

これは、人間が集団生活をする生き物なのと、生まれてから独り立ちできるようになるまで時間がかかるため「手助けが必要な状態」が必ず来る。なので、「可哀想」と言い「こういう時は手助けが必要な状態である」ということを分かりやすく伝えていると考えると腑に落ちる。

例えば、親を失った・親から捨てられた子供がいて「可哀想」だから里親になったり養子にしたりするって行動を取ったりするわけだけど、「可哀想」という情報が無いとその子供を手助けする理由がなくなっちゃうんだよね。

そして、人が何か行動をする時には理由が必要で「可哀想」と口に出したりコメントをする行為は「この人は手助けが必要な状態だから誰か助けてあげて」という行動をするための理由を共有する行為で、人間の生存本能なんじゃないかって考えると合理的なのかなぁって思う。

「可哀想」が無い場合

じゃあ、もし「可哀想」という言葉を口にしなくなったり、「可哀想」という概念が無くなるとどうなるか?

とりあえず「助け合い」が無くなるのかなぁって思う。だって「助ける」理由がないもん。

言い方を変えると、全ての人はビジネスライクな関係性とか個々人が村八分状態。親を失った・親から捨てられた子供やお金のない弱者を誰も助けないからそのまま野垂れ死ぬって感じで、それはもはや無人島で1人で生活をするような感じの世界になるのかなぁって思う。

それくらい「可哀想」って言葉は重要な「情報」なのかなぁって思う。

また、自身が「可哀想」と言うのは、自身がそういう状態になった時に助けてもらうためで、保身的な側面もあったりするのかなぁって思う。

なんとなく女性の方が「可哀想」って言葉を使う人が多いいイメージがあるんだけど、男性は自分の力でなんとかできても女性の場合は自身の力だけでどうにかできない場合が多いいから保身のために「可哀想」と口に出しているのかもね。

おまけ:「楽しい」という情報は共有しない

ふと、「可哀想」という言葉は日常で聞くけど、「楽しい」って言葉は聞く機会が少ないなぁって思った。

それは、「楽しい」という情報に価値があまりないからなのかなぁって思った。

というのも、「楽しい」って情報は個々人によって感じ方が異なり信憑性が乏しいのと「楽しい」は生きていく上で別に不必要な情報だから。

逆に、「可哀想(手助けが必要な状態)」は生きていく上で情報として重要だけど、「楽しい」は無くても困らない情報だからあまり口に出すことはないって考えると腑に落ちる。

それに、「楽しい」は自分自身の状態を指して、情報として共有する時は「面白い」という言葉に置き換えて伝えるから余計に口に出さないのかもしれない。

僕も「楽しい」って口に出したりするのって、何かご馳走されたりって感じで個人の感想が重要な時くらいだもんなぁ。

そう考えると「ありがとう」とか「ごめんなさい」ってのも使用頻度が多いい言葉だけど、それも「良いこと」や「悪いこと」の情報共有だし、使用頻度が高くなればなるほど必要性や価値が高くなる傾向があるのかもしれない。

まぁ、言語そのものが情報共有するためのツールだから、使用頻度が多いい言葉は総じて情報価値が高いのも当然なのかもしれない。

だとすると、言葉を交わさない人は情報共有をしていないのかって考えると、SNSツールで言葉を交わしているか…口下手な人にとっては今の時代はとても良い時代なのかもしれないね。

終わりに

「可哀想」って言葉は「手助けが必要な状態」を共有するって考えると、某女優さんに「可哀想」とコメントをする人の行動の理由が腑に落ちるわ。

それに「可哀想」って空気感を作ればその女優さんの周りの人が動いて助けてくれるわけだもんなぁ。日本も震災でひどい目にあったわけだけど、多くの支援があったのも「可哀想」だったから多くの人が動いてくれた結果だし。

そういう感じで「可哀想」だとわかると、余裕のある人が手を差し伸べてくれるのだから「可哀想」と言うのは生きる上で重要なんだろうね。

でも、「可哀想」って馬鹿にする側面って間違いなくあると思うんだよね。だって、その女優さん美人で知名度やお金もある。順風満帆の人生を歩ていたけど大事なところで選択を間違えて「可哀想」って感じで馬鹿にする意味で使ったとしても腑に落ちるもん。

なので、子供のような弱者に対しては「手助けが必要な状態」という意味で多く使われるが、某女優さんのような強者に関しては半分半分の使われ方をしているんじゃないかなぁって思う。

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