日記

好き嫌い

以前、メンタル疲労が溜まるとモチベーションが下がり「やりたくない」って感じ、行動にブレーキがかかるって書いた。それの続き。

メンタル疲労=ブレーキ

メンタル疲労が溜まって疲れていると勉強や仕事などで「やりたくない」って感じブレーキがかかる。

これがなんでなのか?って言うとエネルギーを温存しておくため。何か危機が迫った時に対処できるようにするために「やりたくない」ってブレーキをかけてエネルギーを温存する。って考え納得した。

今回は嫌いなことはブレーキがかかるけど、好きなことであればブレーキがかからない気がしたのでそれについて書き出し。

好き嫌い

好き嫌いでのブレーキのかかり具合がある。

例えば、遊びやゲームはノーブレーキでできるけど、勉強や仕事にはブレーキがメッチャかかる。勉強でも好きな教科や嫌いな教科でブレーキのかかり具合が違うし、仕事でも仕事内容によってはブレーキがかかりやすい仕事がある。って感じで好き嫌いでブレーキのかかり具合が異なる。

これが何故か?って考えると、理由の有無が関係しているんだと思う。

好きなことは「好き」という理由があるからそれをするけど、嫌いなことは「嫌い」だからそれをしない理由がある。この「それをしない理由(嫌い)」がブレーキの正体なのかなぁって思う。

じゃあ、嫌いだと何故人はそれをしようとしないのか?なんで嫌いだとブレーキがかかるのか?

ブレーキがかかる理由

ブレーキがかかる理由としては、エネルギーをその「嫌いなこと(向いていないこと)」に使うのは生きる上で非効率だからなんだと思う。

人間は集団で生活をする生き物で、集団から追い出されたくないと考え行動する。だから、その集団のなかで自分の役割や役に立てるポジションを探す。その際「嫌いなこと(向いていないこと)」で他と争っても自身の生存確率は上げられない。なので「好きなこと(向いていること)」で自身の価値を上げようとする。

という感じで、生存本能による行動だとすると納得かなぁ。

実際、現代に「嫌いなこと(向いていないこと)」を頑張る人間はいない。なぜなら、そういう人間は集団から追い出されて滅んでいるから。今生きている人間は「好きなこと(向いていること)」を伸ばして集団の中で生き残った人間の子孫だからそういう傾向があるって考えると納得かな。

つまり、ブレーキがかかるのは集団で生きる上での生存本能。

仕事

じゃあ、仕事はどうなのか?

仕事で「好き(向いている)」と思ってやっている人は稀だと思う。多くの人は「嫌い(向いていない)」けど、生活するためにすっごいブレーキがかかりながら仕事をしている。それはエネルギー的に非効率的なんじゃないか?って思うが、これは必要不可欠、生きる上で必要な最低限の出費的な扱いだからできるのかもしれない。

それに、仕事が本当に「嫌い(向いていない)」って人間はそもそも既に絶滅していると思う。昔は今ほど潤沢に食べるものがあったわけじゃないし、本当に仕事ができないのであれば集団から追い出されて子孫を残せず滅んでいる。だから、現代人に本当に仕事が「嫌い(向いていない)」って人間はいないんだと思う。

この辺は単純にやる気の問題なんだと思う。賃金が低い、人間関係が悪い、将来性がないって感じで頑張る理由がないから「やりたくない」ってブレーキがかかっているだけ。実際、家族のためと低賃金、クソ人間関係、将来性のない会社で働いている人がいるからそういう職場があるわけだし…。

なので、仕事における「嫌い(向いていない)」は、何か頑張る理由があれば容易に取れるレベルのブレーキなのかなぁって思う。

ブレーキ外したい

「やりたくない」「嫌い(向いていない)」ってブレーキがかかるわけだけど、これって外せないんかなぁ?

僕も漫画を描く時にすっごいブレーキがかかりながら描いているんだけど、おかげで余計な疲労があったりと効率が悪いんだよね。なんというか、サイドブレーキを引いた状態の車で走っている感覚。

ただ描いてて思うが、このブレーキを外そうと思うと根本の問題を潰すしかないのかなぁって思う。というのも、結局のところ「上手く行かない」「思い通りにならない」ってのが原因でブレーキがかかっているから、その問題を解消しないことにはサイドブレーキを解除できないのかなぁって思う。

仕事や勉強も同じで、できないからブレーキがかかるのであって、できればブレーキかからないって話。

だから、ブレーキがかかる原因の問題を取り除くしかない。それまでは、サイドブレーキを引いた状態で無駄なエネルギーを消費しながら走るしかないのかなぁって思う。

終わりに

好き嫌いってのは生存本能が関係していて、集団において自身の価値を上げ、集団における生存確率を上げるための機能ってのは合っていると思う。

ただ、食べ物の好き嫌いみたいなものでは無くて「(向き不向きの)好き嫌い」って話かな。で、向いていないことをする理由はないからやる気が出ないって話。

んー、言語化したら外せる気がしたんだよなぁ。けど、この機能は人間のコア、DNAレベルで刻まれててシステム変更が無理っぽい。他にも理由が無ければ人間は行動しないって別のコア機能を弄らないといけなくなるからブレーキを外すのは無理だわ。

まぁ、ブレーキがかかっても進めるっちゃ進めるから、ブレーキが取れるまで走り続けるしかないんだろうね。頑張る。

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