集中できない
漫画を描いてて思うんだけどなんか集中出来ないってことが多いい。前までは嫌いだからって理由で納得できた。けど、今はなんか違う気がするので書き出し。
集中できない理由
集中できない理由としては、答えがわからないって部分が大きい気がする。
というのも、絵を描く時って頭の中に答えがあってそれを原稿の上に落とし込むわけだけど、思い通りに落とし込むのが難しい。どうすれば上手く原稿の上に出力できるのかわからないって部分がストレスで集中できない理由になっているのかなぁって思う。
これは勉強と同じで、解き方がわからないから集中できないって奴に近い。なので、解き方が分かれば集中して作業ができるようになるのかもしれない。
プロットや日記は集中できる
けど、漫画のプロットや日記も解き方がわからないのに集中して書けるんだよなぁ。でも、絵は解き方がわからないし集中できない。何が違うのか?
違いとしては、文字と絵の違いがあるかもしれない。同じ頭の中にあるものを取り出す行為だけど、出力のスピードが違う。文字は出力が早くサクサク進むけど、絵は1つ出力するのに数分の時間がかかる。同じ解き方がわからない、答えがわからないモノだけど、出力スピードが異なる点が集中できるかできないか分けているのかなぁって思う。
暇
言い換えると、「暇」だから集中できないって話なのかもしれない。
文字であれば頭の中のモノをラグ無しに出力し続けることができる。けど、絵に関しては出力するために待機時間が発生する。その待ち時間が「暇」だから集中が途切れ、集中(し続けることが)できないって考え方の方がしっくり来るかも。
それを良く表している例として、絵を描く時はyoutubeの動画を流しながら作業をするってのがある。プロットや日記など文字を使った作業では集中できないから絶対に流さない。それなのに絵を描く時には流す。なぜなら、(待ち時間が)暇だから。
この「暇」が集中できない原因であるのは間違いないかな。
視覚的な情報
ただ、暇だから集中できないって考え方も違和感なんだよなぁ。
というのも、仕事でデータの流し込みはそこまで頭を使わないし単純作業なので暇。だから動画を流しながら作業をしようと考えるんだけど、動画を流しながら作業をすると不注意でミスが起こりやすくなって修正が発生する恐れがある。暇だからといって、その無駄なミスを考えると動画を流しながら作業をしたりはしない。
けど、絵を描く時は動画を流しながら作業をする。
それって不注意な状態かつミスが起こりうる状態で絵を描いている状態で、それっていいの?って自問自答すると疑問。
なぜ、動画を流しながら作業ができるのか?って考えると視覚的な情報だからなんだと思う。文字は文章という塊を読んで頭で繋げ理解する必要があるけど、絵は見ればわかる視覚的な情報。見ればわかる分、頭を使う必要がない。例えミスが起きたとしても見ればわかる。文字のように読み繋げ理解するフローがない分暇だから動画を流せるのかもしれない。
良し悪し
じゃあ、視覚的な情報とはいえ動画を流しながら作業をすることが良いのか?
良くはないと思う。視覚的な情報で見ればわかるため容易にミスに気が付けるとはいえ、不注意な状態で作業をしているのは変わらないから。不注意な状態で手を動かして良いものが作れるか?って考えると微妙。だから良くは無いんじゃないかと思う。
問題
これの根本の問題は、絵を出力している間に頭が暇で「やることがない」ってのが問題なのかなぁって思う。
プロットや日記のような文章を扱う時。ネームのような物語全体を繋げて読む時。それらは頭の中でそれが「正しいかどうか」を判断するため頭を使うが、絵に関しては出力結果を見てそれが「正しいかどうか」を見て判断している。
出力中にそれが「正しいかどうか」の判断ができないため、頭の方が手持ち無沙汰の「やることがない」って状態になっているのが根本の問題くさい。
なので、出力中に何か「やること」を用意し頭を使い、暇にさせないことで集中して作業ができるのかなぁって思う。
やること
具体的に何をすればいいんだろう?ちょくちょく考えるのは絵の言語化をすることかなぁ。
例えば、どうすれば思い通りに絵を描けるのか?ってのを言語化できれば、出力中に「それは違う」って感じで介入できると思う。けど、視覚的な情報が故に介入が難しいし、どのタイミングで「それは違う」って判断すればいいのか?ってのもわからないんだよね。
それに動画を流しながら描いても新しい発見があったり、良いと感じるモノが描けたりという感じで、何が「正解」かよくわからない。圧倒的に経験不足で「正しい」って判断がし辛いのが現状。
とはいえ、僕がそれを「良い」って感じているんだから、何か「良い」と感じる共通点はあるはずなので言語化することが「やること」なのかなぁとは思う。
とりあえず、言語化を心掛けるかなぁ。
終わりに
今回の日記はかなり抽象的な部分に踏み込んでいるから言語化が難しいわ。ただ、絵の言語化は正しいと思うんだよなぁ。それを「良い」って感じているんだから「なぜ良いと感じるのか?」については言語化できると思う。だから絵の言語化は正しいとは思う。
ただ、描いてて思うんだけど、どんどん「良い」のハードルが上がってんだよね。今描いているオスガキって作品についても、1話描いている時は良いって感じてたモノが4話を描いている今はそうでもないって感じている。上達のスピードが早いのか?変化が激しいんだよね。それ故に言語化が追っつかない?みたいな感じで、言語化し辛い部分がある。
言語化する以前に経験値が圧倒的に足りない感覚があるんだよなぁ。例えるなら野球始めてバットにボールが当たらない、狙った所にボールを投げれないって状態。まずは経験値を溜めて最低ラインを超えるべき段階ってイメージ。
とはいえ、なんでバットに当たらない?狙った所に投げられない?ってのは経験不足を除いても言語化できる余地はあると思うから、そこは言語化できるのかなぁとは思う。
ということで、少しづつ言語化してみるかなぁ。
おまけ:動画を流しながら作業
動画を流さないで作業をした時と動画を流しながら作業をした時で明確な差が生まれるかなぁって思ったんだけど、思ったより生まれない?って部分が気になった。
今描いているオスガキの4話があるんだけど、ちょっと構図が今まで描いたことがない構図ばかりで、四苦八苦している。1回目の下描きをする時に、2ページ目は動画を流さずに作業をしたんだけど、3ページは動画を流しながら作業をしたら動画を流しながら作業をした3ページ目の方がよくね?って印象を受けた。
たぶん、2ページ目では初めて描く構図で苦しんだけど、3ページ目では2ページ目を踏襲した形で描けるからよく描けたって部分があるんだとは思う。また、2ページ目を描く時は1ページ目も合わせて描いたけど、3ページ目は3ページ目だけを描いたって感じで使った時間が違うってのはあると思う。
そういう状況の違いはあっても、3ページ目の方が良い感じなんだよね。だから動画を流すのが悪なのか?って悩んでいる。それに、音楽を流しながら作業を普段からしているんだけど、流す動画の種類も音楽のように聞き流せる動画もあれば、(耳を傾け)意識して聞く動画もあるって感じで、種類がある。なので、一概に動画全てが悪いとも言えないって感じ。
この辺は引き続き確認が必要かも。ちょっと面白い気づきが眠ってそう。
おまけ:ストレスがあるから動画を流す
あと、動画を流しながら作業する理由に、ストレスから目を逸らすって理由もあるんじゃないかって思う。というのも、ストレスが描く上でブレーキのような役割をしてしまうので、そのブレーキがかからないよう(意識をそこから逸らすため)に動画を流すってのはあるのかなぁって感じ。
面としてはあるんだよなぁ。実際、絵を描くの嫌いだし、描きたくないって感じているし。動画は絵を描く上で潤滑油的な役割があるとは思う。
色々絡まっていて、言語化が難しいわ。この辺は時間がかかるかなぁって印象だわ。