日記

時間を置く

なんか上手く行かない時に時間を置くと解決するってことがあるので書き出し。

時間を置くと上手くいく現象

言語化作業や勉強、仕事などで詰まった時、時間を置くとスムーズに進むことがある。
この現象がなぜ起きるのか考えてみた。

詰まっている時は、対象に近づきすぎているのかもしれない。
教科書やパソコンに顔を近づければ近づけるほど、物理的に見える範囲は狭くなる。それと同じで、思考の視野も狭くなっている。

なので、「時間を置く」というのは「物理的・心理的に距離を置く」という意味なのかもしれない。

時間を置く=情報の上書き

では、「時間を置く」とは具体的にどういう行動なのか?
ただ顔を近づけたまま待つことではない。自宅に帰る、他の作業をするなどの行動を伴うことが一般的。
この行動の本質は、情報の更新(上書き)ではないかと考える。

詰まっている状態に対し、それら行動を挟むことで、視覚的な情報が更新される。
新しい情報が入ることで、排水管の詰まりを水で押し流すように、思考の詰まりもそういった情報によって押し流されて解消するイメージ。

ちょうど先日、都会を散策した翌日に長期休暇を取ったかのような感覚になった。それも、普段と異なる大量の情報が流入したからで、その情報量が長期休暇を取った時と同じ量だったのだと考えられる。
つまり、時間を置く本質とは「別の情報を間に挟むこと」なんだと思う。

情報の質と量

ふと気になった。挟む情報によって効果は変わるのか?
例えば、仕事で詰まった時に別の仕事をする場合と、外出する場合の違い。前者は、視覚的な環境(PC画面など)が変わらないため、効果は薄いかもしれない。
一方で、後者は外出して打ち合わせに行くなど、視覚的な情報が大きく更新される。なので、実際に経過した時間以上に「距離を置いた」感覚が得られる(気がする)。

つまり、普段と異なる情報を大量に入れれば入れるほど、効果的に「時間を置く」ことができるのではないかと思う。

終わりに

「時間を置く」とは、単に物理的な時間を経過させることではなく、別の情報で思考の詰まりを押し流すことだと考えると納得がいく。
都会へ行った時の爽快感も、日常の情報で詰まっていた部分が、新しい情報の奔流で綺麗に洗い流された結果なのだろう。

そう考えると納得なんだけど、日常生活ではあまり意識することはないかもなぁ。何か詰まったとしても、寝れば基本解決する詰まりだし。仕事みたいに能動的に動いて解決する必要がある時に使う技術な気がする。

言語化してみたんだけど、特に困っているような悩みではないからなんか不完全燃焼感があるなぁ。んー、漫画を描く時に助走として、youtube見たり漫画を見たりする時ってのがあるんだけど、それは詰まっていて情報でそれを押し流そうとしているってことなんかなぁ?これはこれで言語化必要かも。次に繋がる日記って考えると満足できるか。

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