本能という名の寄生虫
人間という名の寄生虫がいるって考え方が面白かったので書き出し。
きっかけと「内なる人間」の干渉
少し前に13連勤し、疲労が溜まった状態になった。
疲労が溜まると、人間の本能が休みを欲しがり、休む大義名分として「彼女ほしー」と騒ぎ出したり、疲労を水増しする「イマジナリーヒロー」が現れたりする。
けど、僕には「欲しかったモノを作る」という目的があり、彼女は邪魔になるし、疲労に関しても週一の休みさえあれば問題なく稼働できると分かっている。
それにも関わらず、人間の本能は疲れると不必要な行動を強要してくる。
2つの視点
人間は「人間としての視点」と「個人としての視点」という2つの視点で物事を見ている。
「人間としての視点」は、種が滅びないように子孫を残すための本能的なものであり、異性にモテようとしたりお金を稼ぎ安全な環境を手にしようとする視点。
「個人としての視点」は、「自分はなぜ生まれたのか?」のような人間の本能が関係のない理性としての視点。例えるなら「夢」や「目的」。
僕には「欲しかったモノを作る」という「目的」があり、そのために努力を重ねているのに、人間の本能はそれを無視してくる。人間の役割である子孫を残すことや、エネルギーを温存するために楽をしようと邪魔をしてくる。
自分が「こうしたい」と思っているのに「そうはさせない」内なる人間がいて、まるで寄生虫に取り付かれた虫みたいだと思った。
人間という名の寄生虫
個人が「こうしたい」と考えているのに、人間の本能が「そうはさせない」という構図は、宿主に取り憑いて行動を誘導する寄生虫そのものだと思う。
例えば、勉強したいのにゲームのような楽な方向に流されたり、不安があるからと現実逃避をして向き合わなかったりする。宿主が「こうした方がよい」と考えているのに、寄生虫は「そうはさせない」「子孫を残せ」「エネルギーを温存しろ」と命令してくる。
さらに、本能という寄生虫に誘導された行動を、あたかも自分自身の意思で選択したかのように錯覚させるからタチが悪い。
という具合に、「個人としての視点」からすると人間の本能は寄生虫のような存在なんじゃないかと思った。
おわりに
自分で自分をコントロールできない事態に直面し、その度に自問自答をするんだけど、毎回行き着く先は「人間の本能」なんだよね。
確かに、人間含め生き物は基本的に子孫を残すために生きているわけで、犬や猫や猿が「我は何故この世に生を授かったのだろうか?」なんて考えるわけがない。何も考えずに腰を振って食っちゃ寝するのが生物としては正解なんだと思う。そういう意味では、人間だけが生き物の中でおかしな存在で、人間以外の生き物の方が正しいのだと思う。
しかし、毎度自問自答していると「人間の本能つっよ」って感じる。以前は、人間を「本能というOSがインストールされたパソコン」のように考えていたけど、「本能という寄生虫がいる」と考えた方がしっくりくるわ。
たぶん、意思の有無が関係している。システムやプログラムには意思がないけど、宿主と寄生虫には意思がある。寄生虫と宿主の関係性の方が上手く表現できているからそう感じるんだと思う。
それに、人間を「本能というOSがインストールされたパソコン」と例えるより、「本能という寄生虫に寄生されている」と考えた方が、駆除や弱体化のイメージが湧きやすく、コントロールできる可能性がある気がする。
実際、不安を感じると人間の本能(寄生虫)が騒ぎ出すってことを別の日記で考察していて、これがトリガーくさいんだよね。だから、不安をなんとかすれば完全に駆除はできなくても弱体化は可能だと思う。
今回もAI使っているんだけど、結構時間食ったわ。たぶん、0ベースで考えた部分が大きい。普段の日記は連載作品の様に前後の流れがあるけど、こいつは番外編みたいな位置付けで、0ベースで作っているから時間がかかったんだと思う(たぶん)。もしくは、仕事とか漫画かなぁー?仕事とか漫画の方にリソース取られて、まとめる方にリソース割けなかったって感じ。しらんけど。とりあえずリリースしちゃおっと。溜まってんだわ、日記が。