自律神経の疲労とメンタル疲労の分類
何もしなくても週明けから週末にかけて蓄積していく疲労。僕はこれを「自律神経の疲労」と呼んでいる。僕自身が「メンタル疲労」と混同しがちなので、この二つの違いについて整理してみた。
自律神経の疲労の正体
自律神経の疲労とは、いわば「疲労の土台」なんだと思う。
特別な活動をしていなくても、週明けから週末にかけて自然と溜まっていく。
これは重力に逆らって行動し続けることで溜まる身体的な疲労に似ており、周囲の危険を察知したり、集団生活を円滑に進めるために「気を張る」ことで消費される生存エネルギーなのだと思う。
この「疲労の土台」は、メンタル疲労がゼロになった時にようやく自覚できる「最低限の疲労」という性質を持っている。
メンタル疲労との関係性
メンタル疲労が溜まっている時、自律神経の疲労はその影に隠れて見えなくなることがある。
イメージとしては、土台である自律神経の疲労の上にメンタル疲労が覆い被さり、視界を遮っている感覚に近い。
そのことから、メンタル疲労というのは自律神経の疲労の上に成り立っているのだと思う。日常生活では「気を張る」という最低限の(自律神経の)疲労があり、仕事や勉強などをするために「さらに強く気を張る」ことでメンタル疲労が上乗せされるような関係性だからそう感じるのだと思う。
時に「自律神経の疲労が増えた」と感じることもあるが、重力そのものが増えないのと同様に、この土台の疲労自体が増えるわけではない。
体が疲れるとその体を通して重力をより重く感じるように、メンタル疲労によって自分自身が弱くなったりすることで、土台である自律神経の疲労も相対的に「土台の重み」を強く感じているに過ぎないのだと思う。
「遮断」できない生存機能
もし、自律神経の疲労、最低限の疲労を遮断できれば完全に疲れ知らずになれるのではと考えたが、それは不可能なんだと思う。
なぜなら、それは人間が生存するための「不可欠な機能」だから。
人間の集団から追い出されないよう他人の気配を察したり、外敵を警戒したりする本能的な活動には、必ずこの疲労が伴う。もし、この機能を遮断したとすると、生きることはままならない。
また、この機能はスイッチのように容易にオンオフできるものではなく、一度切ってしまえば退化し、二度と復活しない性質のものなのだと思う。だからこそ、どれだけ煩わしくても「切るに切れない機能」なのだと思う。
終わりに
まとめると、自律神経の疲労とは「危機察知」や「集団生活の維持」といった、生存のために常に気を張ることで発生する疲労であり、あらゆる活動の土台となっている。
肉体が常に重力に逆らい続けているのと同様に、心もまた何もせずとも疲労を溜めており、その上に仕事や勉強といった「より強い緊張」による疲労がメンタル疲労として積み重なっていく。
これは生存本能に根ざした、決して切り離すことのできない「生きていくための最低限のコスト」なんだと思う。
とりあえず、形になったかなぁ。
抽象的だからマジでまとめるのがしんどいし、読むのがしんどいわ。なんか頭に入ってこない感じがすっごいわ。これ、何なんだろうか?文章はAI使ってまとめているとはいえ、僕発の元は僕の文章なんだからそんなに読みづらい文章にはならないと思うのだが、なんか読みづらい。たぶん、感想ではなく証明をしようとしている面が原因なんだろうなぁ。1人称ではなく3人称の文章だから、どの視点でよめばいいか分かりづらいってやつ。1人称ならその人視点で見ればいいから分かりやすい。で、日を置いて読んでみるとそんなに違和感ないからとりあえずリリースでいっかなぁ。