感情が入ると書きやすい理由
感情が入ってる日記は書きやすいなぁって思ってて、なんでだろうと悩んでついに判明した二色人です。
ブログ日記をかれこれ3年書いてるんだけど、愚痴とかストレスとか感情が入る日記ってすらすら書けるから不思議でずぅーっと考えていたんだよね
うそ、たまに考えていた
で、やっとわかった
感情が入る文の書きやすい理由
どうでもいいことだからだ!
どうでもいいこと = 愚痴!!!
だってさー、愚痴とか言うのも聞くのもどうでもいい事じゃん?
いや違うよって反論をするようなものでないし、ふーんって聞き流したりそうだよねーって乗っかるもんで、こっちもそういう前提で書いてるから思ったものをそのまま出せばいいんだよね
だから書きやすいのかも
それに読むのも楽なんだよ
どうでもいいことで愚痴だし理解する必要ないし
twitterやってる感覚が近いんじゃないかな
つぶやきとかどうでもいいこと多いいし
つまり、書きやすい日記とはどうでもいい頭を使わなくていい日記ということだ!
Q.E.D!証明完了!!!
ここで終わらせたほうがスッキリしてて読みやすいんだろうけど、日記に読みやすさは求めてないし
思ったことをぶちまけるルール無用のフリーペーパーが日記だからね、続き書くよー
逆に何度もリライトした日記って多少伝えたいものがあるからか書きづらいね
読む時も頭にスッと入ってこないというか、どういうことなんだろう?って理解しようと読み止まることがある気がする
あと長い
それに、日記って自由形式だから一つのテーマじゃなくて複数のテーマを扱ってまとまらないことも書いてて結構あるんだわ
ある程度伝えたいことがあるなら自由にやらずにテーマは一つに絞った方がいいかもね
変な癖がつくって意味で日記の悪い部分だと思った
あ、今書きづらくなってきた
テーマは一つに絞った方がいいって伝えたいことが出てきたからだ
その伝えたいことをわかりやすく伝えようと理由を考えだすんよ
それでいつも時間食って何度もリライトしたりする羽目になる
だから、書きづらいのかもね
書いてて思い出したんだけど、一時期読書しまくってた時期があって、丸一日図書館に籠って勉強して疲れたら読書するみたいなことしてた
で、小説は丸一日くらいかけないと読み切れないんだけど、自己啓発本は読み切るのに2時間もかからなくて数読めるから自己啓発本ばっかり読んでたんだよね
今にして思えば小説って読み飛ばすとストーリーがわからなくなるからちゃんと理解しながら読もうとするんだけど、自己啓発本って読み飛ばしても大体どうでもいいこと書いてたりするから困らないんだわ
実際、自己啓発本めっちゃ読んだけど内容全然覚えてないし
読んでて意味がないってわかって辞めちゃったし
あと、当時は速読の練習してて自己啓発本を読む時はめっちゃ早く読めて、速読身につけちゃったかしら?ってドヤってたけど小説読むと一日かかって身につけてないやって一喜一憂してた
「読みやすい=どうでもいいこと」の可能性についての提示
どうだろうか?
なんか、書きやすい日記はどうでもいいことを書いてるとか少し考えればわかりそうだけどなぁー
近すぎて見えなかったってやつかな?
まぁ、色々と書いて何が言いたいかというと…
こういう書き出す価値がないどうでもいいことでも日記だったら書いて残しておけるってことだよ!
なんか毎日同じ生活ばっかりしてるから、書くことも考え事ばっかりになっちゃうんだけど自分の考えを言語化して外に出すっていう今回みたいな使い方が日記として最も有用な使い方なんじゃないか?って思った
しばらく自分の考えを言語化することを続けてみようかな