メッセージを送って何故か後悔する
仕事のやり取りでメッセージを送った後に何故か後悔することがある
特に長文とかのメッセージに多く、送ったとしてもすぐに返事や反応がない時に後悔する
僕はそれを長文に対するアレルギーがあるんじゃないか?読むのが面倒くさく後回しにしているんだろう、と理解しているにも関わらず中々返事がもらえないことで「余計だったか?伝わらないか?」と後悔することが多いい
で、今回その後悔が発生する理由がわかった
それは、無意識のうちに「仕事ができる僕」という偶像を僕は作り出していて、返事がないということは余計だったり伝わってない可能性があり「仕事ができる僕」というイメージに傷がついた状態だから後悔しているっぽい
言い換えるならプライドが傷ついたという状態が近いのかもしれない
そう考えると、色々と納得できる部分があるんだよね
例えば、仕事をくれる会社さん(以降、A社)は多数のフリーランスを抱えているんだけど僕はその中で一番評価されているって思ってて、他のフリーランスさんの綺麗なコードを見るとなぜか焦ったり、スケジュールが思ったより短かかったり仕事がたくさん入ると不安になって上手く眠れなかったりする
これらすべてに「仕事ができる僕」という偶像があって、それが傷つくのが怖いって考えるから焦ったり不安になったりすると考えると納得できる
一番評価されているって思っているから綺麗なコードを見ると「仕事ができる僕」は一番じゃないと焦るし、スケジュールがきつかったり仕事がたくさん入ると「仕事ができる僕」はクオリティの維持ができるか不安になるって感じ
長文を送って後悔をするのも「仕事ができる僕」が送ったメッセージに何もリアクションがなく「仕事ができる僕」というプライドがぐらつくから後悔しているんだろうね
そして、その考えが間違っていると気づいた瞬間
それらのすべてのネガティブな感情や後悔がなくなった
というのも、業界で名が知れた凄い人と仕事をした時にも長文メッセージを送り、案の定返信や何かしらかのアクションが来ず「余計だったかなー、わかりづらいかなー」って後悔をしたんだけど、ふと「僕より凄い人なんだから迷惑をかけるのは当たり前じゃね?」って考えた瞬間、僕はその凄い人と対等にいようとしていることに気づき、背伸びをして「仕事ができる僕」を演じていることに気づいた
そして、「仕事ができる」僕を演じる必要性がなく、等身大の自分で仕事をすればよくね?と考えたら焦りや不安、後悔といったものが一切無くなった
これに気づいたの床について寝ようとしていた時だったんだけど、凄い人の期待に答えられるかどうか不安だったり、メッセージへのリアクションがない後悔で中々眠れなかったんだけど、そのことに気づいた瞬間そういったプレッシャーから解放されてすんなり眠れた
それからその考えをブラッシュアップして、等身大の自分で仕事をするよりみんなよりも一歩引いたポジション「みんなは僕より優秀だから頼りまくろう」って考えるようにしたら、綺麗なコードを見ても「こういう書き方があるんだ、真似しよー」だったり、スケジュール的にきつかったり仕事がたくさん入ったとしても「とりあえずできる範囲でやって、どうしても無理そうだったら周りを頼ろう」って考えられるようになった(本来の僕の立ち位置なのかも)
もちろん長文のメッセージを送ってリアクションが無かったとしても「忙しいんだろうなー」って気にならなくなった
周りが優秀だったりすると、無意識に僕も優秀でいないといけないんだ「仕事ができる僕」を演じないといけないんだって思っちゃうのかね?
周りが優秀だといい部分もあるんだけど、今回みたいに等身大の自分より自分を大きく見せて精神的にきつくなったりするような悪い部分もあるんだなーって思った
昔からストレスを感じやすい性格だけど、そういう理想と現実のギャップから来てるのかも
ということで、等身大の自分より一歩引いた立ち位置で仕事をするようになってから「どうすれば仕事を楽しむことができるか?」という部分のみを考えて仕事をしているからか楽しいね
今は慣れないアニメーション周りや使ったことがない技術使って遊んでる
最近思ったんだけど、楽しんでやることが結果的に自分の最大値を発揮できるんじゃないかって思った
書くことがなかったら後で日記で書こうかな