うつ病
少し前に、うつ病にならなさそうな友達がうつ病になって会社辞めたって話を聞いてビックリした
で、うつ病にならなさそうな人でもなるんだー、僕は絶対ならねぇわーって思ったが、学生時代の自殺未遂やら家出した時ってうつ病だったんじゃね?って思ったので書き出し
学生時代のうつ病?
高校3年生の冬、成績が全く伸びず精神的に追い詰められて、自殺しようと家出したんだよね
今日の今日まで「あの時、僕は一度死んだ」って人生のターニングポイントくらいにしか思ってなかったけど、あれはうつ病と呼ばれるモノだったんじゃないか?
だから、うつ病にはならないんじゃなくて、もうなった、罹ったが正解なのかも
じゃあ、なんでそうなったのかを考えれば、友達の気持ちも理解できるのかもしれないから考えてみる
努力を全くしない友達
まず、どんな友達なのかについて
中学の3年間同じ部活で苦楽を共にして、クラスカースト上位に所属してて、のらりくらりと生きているイメージのやつ
受験勉強はせず底辺高校に行って、大学は推薦で行ってた
就職も地元の企業で、そこそこ給料は良く、実家暮らしでお金を持っていたからか良い車に乗ってた
世渡りが上手い奴でうつ病とは無縁の人間だと思ってたから、うつ病になって会社辞めたと聞いてビックリしたことを覚えてる
まぁ、悪い言い方すると、努力を全くしないイメージのやつ
だから、うつ病になった話を聞いた時、努力をしない奴がうつ病になるんだろうなぁーって思った
めっちゃ努力する僕
で、僕がうつ病?になった高校3年生の冬、誰よりも勉強しているはずなのに全く成績が伸びなかった
学校の単位を計算して、遅刻早退を繰り返して受験勉強に充てたり
塾の自習室に一番に行って最後に帰ったりと、周りの誰よりも勉強してきた
けど、成績が全く伸びず、自分で自分を追い込み、自殺を考え家出した
これをうつ病と呼ぶのであれば、努力ができるできないは関係ないんだと思う
うつ病は自己解決できない
ということから、うつ病は自己解決できない問題に当たった時になるんじゃないかな?
努力で解決できない時、うつ病になる
そう考えると、僕も友達も同じ症状だったんだと言えるのかもしれない
そして、僕は受験を、友達は会社を辞めているんだよね
この辞めるという行為にうつ病になる何かもっと具体的なものがあるのかもしれない
なぜ、辞めたのか?
僕がなぜ受験を辞めたのか?
それは、続けてたら死ぬみたいな感覚があったから
高校3年生の冬の時点で、成績が志望校に全く届かなくて、どうしようもない状況だったんだよね
そして、これ以上この現実と向かい合い続けたら死ぬみたいな感覚があった
だから、辞めた
友達も似たような感覚だったんじゃないかな?
仕事と向き合い続けてたら死ぬみたいな感覚
僕も働いているけど、お金がないと不安みたいな感覚は理解することができる
だから、辞めるに辞められなかった
でも、このまま向かい合い続けてたら死ぬから辞めた
辞めた今考えると、そんなんで死ぬとか馬鹿じゃんって笑えるんだけどさ
当時は、マジで死ぬって思ってたんだよね
そして、その辞める前に「生きる」ということを勘違いしていた僕がいた気がする
それこそが、うつ病の原因なんじゃないかな?
うつ病になる理由
なぜ、うつ病になるのか?
それは、視野が狭くなり「生きる」ということを勘違いすることでなるんだと思う
なぜなら、うつ病になる時って、ストレスフルで追い詰められている時が多いい
そして、追い詰められると緊張から視野が狭くなり「生きる」を「生きる=勉強や仕事」と目の前の物事に置き換え勘違いする
そうすると、死ぬわけにはいかないから生存本能が脳に勘違いしているとエラーを報告して、脳が緊急でシャットダウンする
その結果、無気力状態のうつ病が出来上がると考えると腑に落ちるかな
こういうプロセスでうつ病になるんだとしたら、僕のもうつ病だったんじゃないかな?
ただ、うつ病という言葉がどうにも腑に落ちない…
それは、プロセスはうつ病と同じなんだけど、エラーを検知してすぐに逃げた、完全にうつ病になる前に逃げることができたから、うつ病という言葉が腑に落ちないのかもしれない
確かに、友達の仕事と違い僕の受験は強制力が無く、容易に逃げやすい状況だった
だから、完全なうつ病ではなく、僕のは「うつ病一歩手前」ってのが正しいんだと思う
であれば、腑に落ちる
「生きる」を勘違いするとうつ病になる
ということから、追い詰められ、視野が狭くなり「生きる」という行為を勘違いする
その時に、人間の生存本能が勘違いしていると脳にエラーを通知し、脳がシャットダウンをし無気力状態を作る
これがうつ病の正体なのかなぁーと思う
そして、変に責任感強かったり、真面目な人程、自分で自分を追い込んでしまい、「生きる」を勘違いしやすいのかもしれない
うつ病になる人は真面目な人が多いいイメージがあるし
って考えると、友達は意外と真面目だったんだな(笑)
今度話す機会があったら聞いてみようと思う
アフリカの狩猟民族にはうつ病が少ない
話は変わって、アフリカの狩猟民族ってうつ病がいないらしい
というか、うつ病を診断できる人がいなくて、観測できないって話みたいだけどさ
ただ、アフリカの狩猟民族がうつ病にならないって聞くと、妙に腑に落ちるんだよね
なんで、腑に落ちるかって言うと、生きる上で必要な能力を持っているからだと思う
というのも、お金無くても獲物狩って食ってれば、怪我や病気以外で死ぬことってほぼないじゃん?
そういう「生きる=狩猟(生命の維持)」って関係性がズレないところに、うつ病にならない理由がある気がするんだよね
僕は絶対にうつ病にならない
で、話は戻って、僕は絶対にうつ病にならない自信がある
それは、僕も「生きる」という行為がズレないからって考えると腑に落ちるわ
というのも、僕は「生きる=欲しかったモノを作る」という関係性で行動してて、それがズレることって100%ないんだよね
それは、高校3年生の冬に僕は一度死んでて、「欲しかったモノを作るために生きる」という覚悟を決めてるから
アフリカの狩猟民族と同じで、「生きる」の関係性がズレないから、うつ病にならないって自信があるんだと思う
つまり、僕はアフリカの狩猟民族だった!?
この視点使えばアフリカの狩猟民族についてある程度推測出来そう
まぁ、しないけど
終わりに
創作物の中でしか聞かない「何のために生きる?」って、うつ病にならないためには重要なんだと思った
僕も、その問答を高校3年生の冬にしたんだけど、「生きている意味がない」って答えに行き着いた
そして、僕が生きている意味はないけど、生きる意味は自分自身で決められると「欲しかったモノを作るために生きよう」と決め、現在に至る
それからは大変だった…
何が大変かって、本当に欲しかったモノって自分自身から最も遠くにあるモノで、それは僕自身がやりたくないことや嫌いなことの先にある
手を伸ばしても届かない所にあるものが本当に欲しいモノなんだなーってことで、高校3年生の冬以降、嫌いなことしかしてなくて気づいたね
まぁ、おかげで後悔ないし、今は毎日楽しいから満足している
うつ病は人生のターニングポイントになり得るイベントと言えるのかもね
今年最後の日記だけど、締めの日記としては納得の内容かな
良い感じで振り返りをしつつ、良い感じで締められたから満足
来年はお金を稼ぐ方向で色々と頑張りたいね