何かから逃げての集中力
前に、緊張するから集中できるのであって緊張しないで集中するのは「楽しい」何かをする以外に無理って書いたんだけどさ
漫画の作業している時も緊張するんだよね
なのに、全く集中できなくて不思議だったので書き出し
▼この日記の続き
https://twotone.me/diary/7187/
復習
前回の日記で、生命に危機が迫ることで緊張して集中できるって書いた
現代の多くの緊張は、集団から追い出される恐怖による緊張
昔は集団から追い出されることは死に直結していた
だから人間は無意識に集団から追い出されることに恐怖し、緊張する
そして、追い出されないために集中する
って感じで、生命に危機が迫ると緊張するって書いた
で、漫画でも緊張するけど、漫画を描かなくても生命に危機が迫ることがない
にもかかわらずなんで緊張するの?
何か勘違いしている気がする
1つずつ紐解いていく
緊張する対象と集中する対象は別
まず、緊張する対象と集中する対象は別なんだと思う
例えば、
人の視線で緊張して、目の前のパソコンに集中する
納期に間に合わない事に緊張して、目の前の仕事に集中する
集団から追い出される事に緊張して、追い出されないように集中する
漫画も同じで、
「何かに緊張して、漫画の作業に集中する」
または、
「漫画の作業に緊張して、何か別の作業に集中する」
と言うように、緊張を避けて何か別のことに集中する
緊張する対象と集中する対象は本来別じゃないと成り立たないのかもしれない
嫌なことから逃げての集中力
次に、生命に危機が迫ると緊張する
ここで勘違いが起きている気がする
正しくは、生命の危機を含めた「嫌なこと」に直面すると緊張する
そして、その「嫌なこと」から逃げるために集中する
これが正しいんだと思う
そう考えると、生命に危機が迫ると集中できるのも「死ぬのが嫌だから、生きるために集中する」って説明ができる
また、漫画で緊張するのに漫画で集中できないのも
「漫画の作業が嫌だから、漫画に集中する」という
「嫌なことから逃げて、何か別のことに集中する」という法則的に成り立たない状態だから、集中できないと説明がつく
まとめ:集中するためには嫌なことが不可欠
まとめると、「嫌なことから逃げて、何か別のことに集中する」
これが、「楽しくない」ことをするための集中力なんだと思う
そして、僕の勘違いは「嫌なことから逃げて、何か別のことに集中する」という法則の1例である「生命に危機が迫ると緊張して集中できる」を、緊張と集中のメカニズムそのものである勘違いしていたって話なんだと思う
ということから、漫画が嫌なことである以上、漫画で緊張はできても漫画で集中するのは不可能なんだと思う
ただただ、漫画が本当に嫌いなんだなぁーということがわかった
どうすれば嫌なことに集中できるか?
とは言え「嫌なこと」である漫画に集中させたい
どうすればいいか考える
1つは「慣れ」の問題な気がする
嫌いな食べ物も食べ続ければ慣れるわけで
嫌いな漫画も慣れれば集中できるようになるのかもしれない
もう1つは「もっと嫌なこと」を作ることかな
嫌いな食べ物しか食うものがないって状態だったら、飢え死ぬのが嫌だからどんな嫌いな食べ物でも食べる
漫画もそれ以上に「嫌なこと」を作ることで漫画で集中できるようになると思う
仕事という漫画以上に「嫌なこと」
ちょうど最近のことなんだけどさ
漫画の作業に慣れ始めているのと同時に、仕事が嫌になってきている僕がいる
漫画に関しては、試行錯誤の繰り返しでネームとかストーリーで納得できるモノが作れるようになってきている
そのおかげで、多少絵の方に問題があっても進めることができるくらいには心の抵抗が減ってきている
逆に、仕事の方は心の抵抗が増えてきている
というのも、2年近く付き合いのある会社さんから仕事をもらっていて、対応してきた案件もそれなりにあるから「修正お願いします」「改修作業をお願いします」って保守対応が増えてきているんだよね
それがマジで怠い
だから、漫画以上に仕事が嫌になってきていて、仕事より漫画の方が楽
仕事から漫画に逃げるという今までとは逆の現象が現在進行形で起きている
たぶん、この状況を続けていったら
漫画の作業で集中できるようになるんだと思う
というか今現在、漫画で集中できるようになってきているからこれを続ければ「仕事が嫌だから、漫画に集中する」という法則を成り立たせることができる気がする
まとめ:嫌なことを自分自身にやらせる方法
嫌なことを自分自身にやらせようとすると「慣れ」と「もっと嫌なこと」を作る
この2つが重要なんだと思う
けど、同時に無理だと思った
というのも「嫌なこと」を自分自身にやらせる動機や理由がないから
仕事であれば、生活できないのが嫌だから仕事をする、って具合にどんなに仕事が嫌でも生活できない方が嫌だから仕事するんだけどさ
漫画って別にしなくても生活ができなくなるわけでもないし、死ぬわけでもない
「嫌なら辞めればいいじゃん」で終わりなんだよね
そういう動機や理由、今回で言うなら「もっと嫌なこと」を作りようがないという点で継続する事自体ができないから「慣れ」ようがない
無理じゃね?って話
とは言え、僕はできたんだよなぁ
この辺は頭が悪いことによる往生際の悪さが関係している気がする
この辺も言語化するかなぁ
終わりに
今回の日記は、中々まとまらなくて四苦八苦したけど、かなり大きな気づきだったわ
というのも、18を境に僕は嫌いなことしかやってなくてさ
パソコンを使う仕事だったり、毎週何万文字も文章を書いたり、毎日日記の翻訳したり、パソコンの前に座り続ける
それらの嫌いなことが出来ているのも、「漫画の作業が嫌だから、それらの作業に逃げている」って説明がつくんだわ
どんだけ漫画描くの嫌なんだよ(笑)って話
そして18以降、僕は嫌い漫画をどうやったら僕に描かせることができるかという問題に立ち向かい続けていたつもりだったけど、実は逃げてばっかりだったんだなぁーって気づかされた
逃げているつもりは全くなかったから面白い気づきだった