家で集中できない件
学生時代、勉強をする時は外に出て勉強をしていた。会社員時代、仕事をする時は会社で仕事をした。フリーランスになってからも家では作業せず外で作業をする、なぜなのか?
集中できるから外でする
僕は基本、外で勉強や仕事や作業をする。それは集中できるから。というのも、家で何かをしようとするとゲーム、漫画、youtubeって感じで誘惑が多いい。だから、集中するために外で作業をするんだと思う。
じゃあ、なんで外だと集中できるのか?
なぜ外だと集中できるのか?
一番大きな理由としては、人の目があることが大きい気がする。これは、人が見ているから悪いことをしないって理由と同じなんだと思う。例えば、図書館であれば静かに本を読んだり勉強をするのが正しい、会社であれば仕事をするのが正しい、コワーキングスペースであれば仕事や勉強をするのが正しいって具合に環境によって「正解」がある。そして、それらの人の目がある環境下でゲームやyoutubeをするのは正しくない。だから、外だと集中できるんだと思う。
言い換えると、家では親から見られて恥ずかしくない行動以外は全て「正解」なんだと思う。ゲームやyoutube見てても正解だし、勉強や仕事などの作業をしていても正解。何をしても正解だから集中できないんだろうね。だから、家だと集中できなくて外だと集中できるのかなぁって思う。
家で集中できる理由
でも、家で集中できる人っているんだよね。そういう人達は勉強や仕事をなんで家でできるのか?いくつか考えてみる。
習慣があるから家でできる
1つは教育による「習慣」があるからなんだと思う。例えば、子供をリビングで勉強をさせるという学習方法がある。それは勉強をしている子供を監視して、勉強をしなかったら叱るって感じで、子供が家で勉強をする習慣を作ることができる。また、子供からすると家という場所で勉強をするのは当たり前なんだって教育を受けるんだから、家で勉強ができるのも当然なんだと思う。
逆に、放任主義で家で勉強をしなくても叱らない教育をしていると、学校や塾のような外で勉強をするのが当たり前になり、外でしか勉強ができない人間が出来上がるんだと思う。
そういう子供時代の教育による習慣があるから家で勉強ができたりするのかなぁと思う。
受験や納期に追われているから家でできる
もう1つは「状況」が関係しているんだと思う。例えば、受験勉強や納期が迫っている状況。そういう状況下であれば、まぁ家とか外関係なく集中できる。だって怒られたり失望されるの嫌だもん。
こう言う時に集中できるのは、追われているというストレスが関係しているのかなぁって思う。ストレスで緊張して周りが見えなくなって、ゲームやyoutubeのような誘惑が見えなくなっているのかなぁって思う。
実際、家で仕事をしている人になんで自宅で作業をできるのか聞くと、仕事をいっぱい入れてて仕事に追われているからって言ってたし…
デメリットがあるから家でできる
最後に、外で作業をすることがデメリットってパターンもある。女性のフリーランスの人が外で作業をしない理由に化粧とかおしゃれをしないといけないとかがあって面倒くさいみたいなことを言ってた。
そういう家で作業をするメリットと外で作業をするデメリットがあるから家で作業をすることができるのかもしれない。とは言え、集中しづらいみたいなことも言ってたかな。
僕が家で作業をできない理由
という具合に、外でできて家だとできない理由を書き出したわけだけど、僕が家で作業をできない理由の大きな理由は習慣が大きい気がする。というのも、子供時代に家でゲームばかりしていて、家では楽なことをして外で嫌なことや、やりたくないことをするって習慣があるんだよね。
そのせいなのか「仕事(作業)とプライベートは分ける」を徹底している。とは言え、会社員時代にリモートワークとかがあったら家で全然作業出来てたと思う。だって楽なんだもん。それはクライアントから電話がかかってこないという意味で楽って話。仕事自体は慣れているからそこまでしんどくなかったし。
とは言え、東京に住んでたら僕も家で作業をしてたと思うんだよね。それは金銭的にコワーキングスペースを借りる余裕はないから。地元で実家に住んでいるからコワーキングスペースを借りることができるって話で、受験や納期と同じ「状況」による影響が大きいのかもしれない。
つまり、僕が家で作業をできないのは、子供部屋おじさんという状況があり、金銭的に余裕があり、「外で作業をする」という選択が取れるから家で作業ができないなんだと思う。だから、「僕が家で集中できない」のは「外で作業をする」という選択が取れる「状況」による影響が大きいんだと思う。
終わりに
んー「状況」が全てな気がする。会社員のリモートワークも時間拘束という「状況」があるから、家で仕事ができるのであって、裁量労働制でコワーキングスペース代とか払ってくる「状況」ならさっさと仕事を終わらせるために「外で仕事をする」って選択する気がする。そっちの方が一日の使える時間たくさん確保できるし。
そう考えると、人は選択肢があるなら「状況」なら外で作業をして、家で作業をするという選択を取る人は少ないんじゃないかな?とは言え、それも「状況」なのかなぁ?その人が対人恐怖症なら外で作業をするのはメリットないもんなぁ…
んー色々とごっちゃになっててまとめづらいし、いったんここらで切る。
で、話は変わるんだけど、子供をリビングで勉強をさせるという学習方法って良いように見えるんだけど諸刃の剣な気がしたわ。というのも、頭がいい子がするなら勉強をすればするほどできる事が増えるから楽しくなるからいいけど、頭が悪い子にそれをさせるとより勉強をしなくなるのと勉強に対して苦手意識を持ち、しまいには勉強を強いる家は居心地が悪いって感じで家出少年少女ができたりする側面があるのかなぁって思った。あくまでも、親が教えられることが前提で、勉強が得意な親じゃないとこの学習方法は成り立たないのかなぁって気がした。
あと、こういう教育方法ってうまく活用すれば、子供の成長をコントロールできるんじゃね?って思った。というのも、子供の対人能力を鍛えようと思ったら、家でゲームをするのを制限すると対人能力が高い子供に成長する。なぜなら、家でゲームができないから友達の家でゲームをするようになるから。と、家で無限ゲームし放題で独りでゲームするのが大好き対人能力が低い僕は考えた。
前回と今回の日記で何か違和感があるんだよなぁ。なんだろう?言語化しきれてない残尿感っていうんかなぁ?とは言え、全部言語化していると溜まっていく一方で便秘気味になるんだよね。溜めてでなくなるのも良くないしさっさと出しちゃった方がいいから出した。(なんか汚くなった)