日記

否定的なコメントに傷つく理由

漫画を描いているんだけどさ、何か作品に対する否定的なコメントが来ると傷つくんだよね。それがなんでなのか気になったので書き出し。

傷つく理由

色々と考えたんだけど、結論としては「正しい」と思っていることが否定されると傷つくんじゃないかなぁって思った。というのも、漫画みたいに自分が「正しい」って思って描くようなモノって18年生きてたら18年かけて「正しい」って思い続けて来たわけで、否定的なコメントを受けるとその18年を否定される感覚になるから傷つくんじゃないかと思う。

僕も、生まれてから「これが、面白い(正しい)」という感覚を培ってきたわけで、否定的なコメントを受けると、僕の生きてきた人生そのものが否定される感覚になった。だから、傷つくって考えると腑に落ちる。

つまり、自分の中で「正しい」と考えている何かがあって、その「正しい」に則って行動をし、その「正しい」が否定される時に傷つくんだと思う。

なぜ、「正しい」が否定されると傷つくか?

「正しい」が否定されると傷つく理由は、想定外だからなんだと思う。「正しい」と思って行動をしているんだから、褒められたり肯定をされると考え、否定されることを想定していない。なので、想定外の否定的なコメントが来ると傷つく。

逆も然りで、「正しくない」と考え、否定されると思っていたのに、優しくされると思わず涙が出てしまう。悪いことをしたのに、優しくされるとグッと来るようなものあるよね。

僕も、頑張って漫画を描いたんだから、まずは頑張りを評価して欲しい。って考えてたりしたし、そういう労力の上にある漫画で否定的なコメントを貰うのは想定外なんだと思う。

「正しい」行動を取った時、否定的なコメントは想定外だから、人は傷つくと考えると納得。

否定をされるのは面倒くさい

否定的なコメントが来ることは想定外だから傷つく、と書いたが、傷つく感情の次に来るのは「面倒くさい」のような気がする。というのも、自分自身が「正しい」と考えることが否定をされて「正しくない」時、それを直さないといけなくなる。けど、それを直す(変える)のは「面倒くさい」から、否定に対して言い訳など否定し返し自分自身が「正しい」と主張をする。なので、傷つく感情の次には「面倒くさい」という感情が来る。

僕も、絵が下手なのはわかっている。だから、それに対して否定的なコメントが来ると腑に落ちて傷つき、それを改善することを「面倒くさい」と感じる。けど、僕は絵に関しては徐々に改善しようと考えているので、そこまで面倒くさいとは感じないけど、「絵を上達させる」という優先順位を上げるのは「面倒くさい」と感じる。

この「面倒くさい」という感情は、否定的なコメントに対する嫌悪感の一因になっているように思う。

否定的なコメントを大きく捉えすぎ

また、否定的なコメントに対する嫌悪感として、それを受けた時に大きく捉えすぎている部分がある気がする。例えば、漫画に対して否定的なコメントを貰ったはずなのに、自分自身の人生を否定されている気分になるというのは大きく捉え過ぎだと思う。

なぜ、大きく捉えるか?それは、「人生の中で否定をされないこと自体が正しい」という価値観が影響しているように思う。というのも、日本においては悪いことをしない相手に迷惑をかけない、という価値観がある。漫画で否定をされただけなのに、その否定が「価値観」までに伝播してしまい、人生そのものが否定をされたと勘違いしているような気がする。これが否定的なコメントを受けた時に大きく捉え、傷つく原因なんじゃないかな?

漫画で否定されたら、漫画で留めておくべきで、価値観のような別の「正しい」に伝播すべきではない。きちんと切り分けることで対処ができるのだと思うが、否定的なコメントを貰うという経験が日々の生活でそもそも無い。だから、いざ否定的なコメントを貰うと大きく捉えてしまうのだと思う。

なので、きちんと何に対して否定的なコメントを貰ったかを切り分けて、別の「正しい」に影響が出ないようにすることで対処可能な問題なんだと思う。

否定的なコメントに嫌悪感を感じる理由

否定的なコメントに嫌悪感を感じるわけだが、理由としては色々とある。例えば、漫画のような時間をかけて作品を作る時、作っている側は頑張って作っており、否定をされるために作っていないから否定的なコメントに嫌悪感を感じる。また、否定的なコメントをする側は、相手を傷つけるために「絵が下手」など誰が見ても「正しい」ことを言い、言われた側は「絵が下手」を直す対応を早急に取らないといけないと感じ、面倒くさいから嫌悪感を感じる。

さらに、そういう否定的なコメントを意図的にすることが理解できない、というのも大きな理由なんだと思う。しかし、これに関しては否定的なコメントをする側は、否定的なコメントを受けた人の反応を見るのが面白いからで、実際に否定的なコメントを受けた人は大きく捉え過ぎなように思う。

例えるなら、否定的なコメントをする側は遊びで銃口を向けて、銃口を向けられた人(否定的なコメントを受けた人)は殺されると感じ必死に抵抗する。そういうズレが起きているように思う。だとすると、否定的なコメントをすることは銃口を向けるような行為で、誰だって銃を向けられたら慌てふためくんだからそりゃ面白いし、向けられる側は冗談でも良い気はしないわけで嫌悪感を感じる。

銃口を向ける先と実際に撃つ相手は異なる

否定的なコメントを受けることは銃口を向けられるようなこと、と書いたが、実際に発砲される相手は銃口を向けた相手とは異なるような気がした。というのも、ネットで「なんもかんも日本が悪い」と日本に銃口を向ける(誹謗中傷する)人達がいるが、実際に発砲し危害を食わえられるのは政治家などではなく一般市民だから。

だとすると、否定的なコメントを受け銃口を向けられるような感覚になったとしても、実際に危害を加えられるわけではないのだから、気にする必要はないのかもしれない。

銃口を向けられているんだから、自分が撃たれると考えるのは至極当然だが、インターネットという抽象的な環境で発せられた否定的なコメントや誹謗中傷においては、具体性は無く、相手を困らせて反応を楽しむためにするのであって、友達にいたずらをするような遊びの側面が強いんだと思う。

終わりに

とりあえず、傷つく理由を言語化してみて、前と比べると傷つくことは無くなった気がする。けど、何かコメントを受けるとエネルギーを消耗する感覚を感じる。それは、漫画を描いて人の目が見える環境に置いている以上、何かを期待してしまう僕がいたりするせいなのかなぁって思う。

僕的には、完全にフラットな目線でそういったコメントを見たいんだよね。他人の炎上しているツイートを見るような感覚って言えばいいのかなぁ。そういう感覚で見たいけど、現実は中々そういう目線で見ることができない。

今回、書き出したおかげで、そういう目線に近づいたが、やっぱり絵の問題が大きいような気がする。明らかに下手だもんなぁ…。それに月一という更新も問題なんだと思う。なぜなら、1ヶ月かけようが下手な事実は変わらないわけで、1週間や2週間で仕上げたとしても大きく変わることはないから。

そういう、自分自身も「正しくない」と感じている部分があって、そこが負い目になっている。それが突っ込まれることで、それを改善するのが面倒くさいのかなぁ?だとすると、一度負い目を感じないようにしないと、この「否定的なコメントに傷つく」という問題は根本的に解決をしないのかもしれない。だとすると、とりあえずは漫画を1ヶ月ではなく、2週間で仕上げたり、漫画の体裁を整えるみたいな方向で負い目を無くすように調整してみようと思う。

Leave a Comment

入力エリアすべてが必須項目です。メールアドレスが公開されることはありません。

内容をご確認の上、送信してください。

CAPTCHA