日記

後悔するゲームとしないゲーム

ここ最近、夜中にゲームをやり始めて寝るのが遅くなっているので書き出し。

困るが後悔をしない謎

僕は風呂から出て寝るまでの時間でアークナイツというソシャゲをやることが多いい。

そのゲーム内には風来のシレンのようなプレイする度にダンジョンマップが変わったり、出現するアイテムが変わるローグライクと呼ばれる常駐イベントが実装されていて、特定の条件でクリアすると称号がもらえるのでその称号を集めるのに夢中になって寝るのが遅くなる。(1回のプレイで大体30分~1時間)

そうなると起きる時間もどんどん遅くなって困るのだが、思ったより後悔がない事に驚いている。
少し前に信長の野望にハマり、寝る前にやり始めて寝るのが遅くなりすっごい後悔をしたことと比較すると不思議で、なぜ信長の野望を夜中にやっていた時は後悔をしたのにアークナイツだと後悔をしないのか?

違い

信長の野望では後悔をするが、アークナイツでは後悔をしない理由は「ゲームをする理由があるかないか」の違いがあるんだと思う。

というのも、どちらのゲーム内にも「称号」というものがあり、アークナイツの「称号」は未コンプリートだが信長の野望の「称号」はコンプリート済み。アークナイツには「称号」をコンプリートするという「ゲームをする」理由があるが信長の野望にはそれがない。

そういったゲームをする大義名分があるかないかの違いがあるから、アークナイツをしても後悔をしないが、信長の野望をすると後悔するのだと思う。

とはいえ、そもそもなぜゲームをして後悔をするのか?

ゲームは無意味

ゲームをすることで後悔をするのは、ゲームをすることが僕にとって「無意味」なことだからなんだと思う。

というのも、ゲームは誰でも出来るように設計されていて、そんな誰にでもできることができても意味がない。また、そんな意味がないことに時間を割いて寝るのが遅くなり、寝不足や一日の使える時間が減るというのは僕にとってデメリットでしかない。

そういう「(僕にとって)ゲームは無意味」というのが前提にあるから後悔するのだと思う。

ゲームをしなければよくね?

じゃあ、ゲームをしなければいいんじゃね?と思うが、ストレス発散方法としてゲームは必要なんじゃないかと思う。

というのも、ストレス発散方法はたくさんあるけど、ゲームが僕にとって都合が良い。

なぜなら、ゲームは時間と場所を問わずにプレイでき、かつ横になって肉体の疲労を取りながらできるから。

そして、ゲームというストレス発散方法が1つあれば他のストレス発散方法の選択をしなくて良いため、日々を過ごす上で選択肢を少なくすることができ、目の前に集中することができる(気がする)。

もし、ゲームをしなくなったら僕は友達や異性と遊んだり、旅行や美味しいモノを食べたりと他のストレス発散方法を行うことになるが、それは僕にとって都合が悪い。

そういう、都合が良いストレス発散方法としてゲームは必要で、ストレス発散のために僕はゲームをするのだと思う。

終わりに

まとめると、ゲームは無意味だけどストレス発散のためには必須。
けど、ゲームは無意味だから極力やりたくないし、無意味なゲームをする大義名分(理由)が必要。
その大義名分は「ゲームをクリアする(称号を集める)」ことで、信長の野望はクリア済みだから大義名分が無く後悔をするが、アークナイツは未クリアだから大義名分があり後悔をしない。

って感じなのかなぁって思う。

これは、言い換えると「目的があると後悔しないけど、目的がないと後悔する」って話なのかもしれない。僕は過ごした時間に何か理由を持ちたい質なのかもしれない。

話は変わるが、これを書いている間にアークナイツの方をクリアしたんだよね。
そしたら、「既にクリア済みだからアークナイツをやる理由がない」って感じでゲームを抑制できるようになったんだけど、しばらくしたら信長の野望をやり始めた。(なんで?)

しかも、遅くまでゲームをして起きるのが遅くなったんだけどあんまり後悔がないんだよね。
ってなると、ゲームをすること(ストレス発散)自体が目的という話でさ、僕は相当ストレスが溜まっているっぽい。(実際溜まっている)

なので、今抱えているストレスをどうするか考えないと駄目かもしれないわ。

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