嫌なことに集中して作業をする方法
嫌いなことをするときにゲームやyoutubeに逃げる二色人です
英語や絵の作業をするときに集中できなくて、ゲームやyoutubeに逃げてしまう癖を何とかしたい
逃げる理由としては英語や絵の作業は「嫌い」で、ゲームやyoutubeは「好き」だからだと思う
なので、なぜ「嫌い」か、そしてなぜ「好き」かを理解することができれば自分をコントロールすることが可能になると思うので考えてみる
まず、なぜ「好き」なのかを考えてみると
「好き」という感情は楽しいと感じることに対して発生する
そして、そう感じるものには「未知」…自分の知らないことがあり、それを知り知的好奇心を満たすことで楽しいと感じる場合が多いい気がした
例えば、僕が楽しいと感じる例で言うと
人だったら、尊敬する人がどう考えてどう行動するかを知ることが楽しかったり
物だったら、これを買うことでどれだけ自分の生活が便利になるんだろうと想像することだったり
行動だったら、これをしたらどうなる、続けたらどうなるんだろうという妄想することだったり
ゲームやyoutubeも同じで、この行動したらCPはどう行動するんだろうか、そしてもしCPがこう動いたら次はどう行動しようかと考えたり、自分の知らない世界の動画を見て、こういう世界があってこういうことをする人達がいるんだ
と言ったような「未知」への好奇心から楽しく感じて「好き」という感情が湧くのだと思った
だから、「好き」という感情が湧く楽しいことには「未知」という自分の知らないことがあるのだと思う
逆に、それがない「ある程度予測ができる」ことには「未知」がないため楽しいと感じなくなるのかもしれない
では、次に「嫌い」という感情はなぜ発生するのかを考えてみる
「嫌い」という感情は人と比べて劣っているという劣等感から自分を守るために発生するのだと思う
なぜなら、「嫌い」は他人と比べて劣っており自分の限界が見えてしまい「未知」がなく、行動をしたところで予測ができてしまうから「嫌い」になるからだ
そして「嫌い」という感情は過去にやった(体験した)ことに対して湧く感情であり、劣っている事実と直面をしたくないと無意識に思い、ストレスを生じさせ「嫌い」と認識させているのだと思う
当然それだけではなく、純粋に嫌なことをされたり失敗をしたことにより「嫌い」になるという要因はあるのだろうがどれも他人が絡んでおり、結局他人との比較により「嫌い」という感情は湧くのではないだろうか
ここまで書いて言いたいことは、「嫌い」というのは過去の他人との比較から生まれた感情で、現在の自分が引きづるべき感情ではないということ
なぜなら、英語や絵の作業を「嫌い」というのは学生時代に他人と比べて劣っていたという過去のできごとの結果であり、現在は誰かと比較するような状況じゃないため劣っていると感じる必要性がないからである
むしろ、同い年で僕のように勉強を続けているような人はほとんどいないのだから、人より優れている可能性があり、このまま勉強を続けたらどうなるんだろうという「未知」があるのだから「好き」になってもいいくらいだと思う
だから、作業をするときに「嫌い」だから集中できないのであれば「未知」を意識して作っていくことで自分自身をコントロールできるのではないだろうか
英語だったら、外国人に書いた英語を見てもらい「未知」の反応を得たり
絵だったら、SNSに上げて他人の「未知」の反応を得て楽しめばいいのだと思う
「嫌い」だから集中できないというのは、過去に囚われ続け、逃げる口実を作っている怠け者の考え方なのかもしれない
なので「嫌い」という考えは一度捨て、楽しんで作業をできるよう「未知」を意識して行動をしていこうと思う
…。
試しに今までとやり方を変えてみたんだけど、こういう文の方が書きやすいわ
何だろうなぁ、自分の言葉で文章を書こうと心掛けているんだけど、それをすると読みづらいし書きづらいというか…
そもそも自分の考えの整理が目的だったりするから、無理に自分の言葉で書く必要性もないのかもね