日記

僕の人生はRPGゲーム

僕は日々レベルアップをして、できなかったことができるようになることが楽しいと考えている
今日解決できなかった問題が明日になると解決できたり、今までできなかったことが突然できるようになったりして毎日が楽しい
それはまるでゲームのようで、レベリングをして新しい技やスキルを覚えているような感覚で日々を過ごしている
だから、毎日同じことを続けていても全く苦に思わない
しかし、周りから見ると僕は楽しい人生を送っているようには見えないと思う

僕はそれを価値観の方向性が違うことで片づけていた
僕の価値観は内向きで、レベルアップ、自己の成長が最も価値があることだと考えている
それは、お金や周りの人間などの自分の外にある価値は自分から離れることがあるが、技術やスキルといった内側にある価値は離れることがないからである
だから、価値観が外側に向いている人から見たら僕の人生は楽しくないように見えるのも当然だと思っていた

しかし、最近になりそもそもやっているゲームのジャンルが違うのだと気づいた
というのも、僕のやっているゲームはPRGゲームで、魔王を倒すという目的を達成するために日々レベリングを行っていて、周りの人がやっているゲームは恋愛ゲームやどうぶつの森などのコミュニケーション(シミュレーション)ゲームなんだと思う

そう考えると、僕が楽しいと感じるレベリングも倒す敵がそもそもいないゲームを周りの人たちはやっているわけなんだから僕のやっていることを楽しいと思わないのも当然なんだと思う

そして、「勉強しようぜ!」と誘っても誰一人乗ってくれずその度に「なんで勉強をしないんだろう?」と不思議がっていたけど、勉強をする必要がないゲームをしているのだからと腑に落ちた

こういうのを住んでいる世界が違うって言うんだろうね

とはいえ、人の人生を恋愛ゲームやコミュニケーションゲームと簡単にジャンルわけができるわけではない
「子孫を残す」または「楽をする」という人間の本能的な目的を達成するためにそういったジャンルがベースになっているだけで、「恋愛コミュニケーションRPGゲーム」だったり、「コミュニケーション育成RPGゲーム」といったようにそれぞれの人生に合わせて複数のジャンルが合体したゲームジャンルが存在しているんだと思う

ただ、僕のやっているゲームはとにかく魔王をぶっ倒す、どうすれば魔王を倒せるんだと魔王城の道中に現れるストレスという敵を倒し続ける
高純度のRPGゲームで、そこにはイベントは無く、淡々と日々のレベリングをこなす作業ゲーで、もし売っていたとしてもクソゲーという評価を受けるようなゲームなんだと思う
僕から見てクソゲーなんだから、周りから見ても当然クソゲーで楽しいようには思えないんだと思う

でも、楽しいんだよ
どんなゲームにも楽しみ方ってのはあって、どんなクソゲーでも実況動画なら面白くなったりするわけで、要は「どうすればそのゲームを楽しめるのか?」というのが重要なんだと思う
僕は僕の人生を客観的に見てクソゲーだと思っているけど、そのクソゲーの楽しみ方を知っているから楽しいんだと思った

もし、僕の人生という名のゲームを売るとしたら「”辛さ”を”楽しさ”に変えるRPG——。」みたいなキャッチコピーがいいかな
序盤とか人が一生かけて倒す量のストレスという名の敵を倒しまくる鬼畜ゲーだったし…

こういう自分の人生をゲームに例えるのは面白いと感じた、ゲームが好きだからかな?暇だったら考えてみる

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